人はよい教育、よい先生によって立派な人物になる。 決して、生まれつき差があるわけではない。
なんとも、勇気をもらえる章句だ。
ど真ん中エディットワークの中のワークショップのベースともなっている森信三先生の「血、育ち、教え」。
人間は、自分に流れているご先祖さまから繋がる血、幼少の頃に両親から受けた育ち、社会の中で気づかせていいただいた教え。
この3つの力で、今の自分があると、言われている。
これは考えてみれば、当然というか、確かにそうだろうと思う内容だ。
もうひとつ、「子は親の姿を実演する名優である」ともいわれる。
なぜそうなのか。
幼い子どもの時は「血と育ち」が中心であるからだろう。
子の行動を変えようと思うのなら、まず親が変わるべき。
それを表す言葉だ。
しかし親が変わり立派な親となり、子が変わろうが、親の名優には変わりはない。
では、名優ではなく、自分としての一歩は、どこから始まるか。 最初の一歩は何か。
自ら、血と育ちを見つめつつ、教えの光に照らされ、親の名優から卒業しようとする覚悟からなのかもしれない。
血と育ちは選択はできない、そこに困難がある場合もあるかもしれない。
しかし、それがりっぱな人物になるかならないかのちょっとした匙加減でしかない。
大事なのは「教え」だと。
教えの光があることで、ついには親の名優ではなく、自分が主役としての歩みが始まる。
これが人生のはじまりだ。
だからこそ、師や同じ師のもとで学ぶ友の存在は大きい。 ここになぜ「師が必要なのか」「なぜ学ぶのか」という問いの答えのヒントがあるのかもしれない。
あなたにとって師は?
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