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35歳。

これまでの人生をリセットし、家族で大阪に引っ越すところから始まった。

そこから、実家である富山の印刷会社を手伝い始める。

 

自分のなすべき仕事とは(天職)

現在、ヤマシナ印刷株式会社で、専務取締役として働いている。

父が社長であり、ぼくは経営というよりむしろ、パソコンで印刷用のデータを制作することがメインの仕事だ。

もちろん取締役として、スタッフみんなのエンパワーメントを目指している。

ヤマシナ印刷は、典型的な「軽印刷」というジャンルであり、印刷業とは、ただ印刷物を作ることが目的ではなく、「人と人をつなぐコミュニケーションツールの提供」だと理解している。

だからこそ、人の想いに向き合うことは、大切な仕事だ。

この仕事の意味に出逢えたことが、斜陽産業にもかかわらず、ぼくの人生に大きな勇気を与えたことは確かだ。

補足になるが、軽印刷とは、大きい印刷機を持たず、小ロット短納期が特徴とした地域の御用聞きとしての役割を担ってきた日本の伝統的な仕事といっても過言ではない。

また、家庭の中では4人の子どもたちの父親として、家族の愛を受け、そして与えるという大きな役割があると実感している。

ここにも人生において大きな意味があると年を追うごとに実感する。

血、育ち、教え

なぜ、今の仕事に向き合うようになったかというと、もっとも大きいのは「血」だろう。

特に有名は観光地なのではないが、北陸の十字路として主要都市の交差地点となる小矢部市に生まれ、祖父の代より印刷業を営んでいる家に生まれた。

ぼくが継げば、3代目ということになる。

幼少の頃より、働く父の姿を見て育ち、そこには尊敬と憧れがあった。

遊び場は、仕事の現場であり、印刷機が回る規則正しいリズムを子守歌のように感じながら過ごした。

紙の束や見本帳も絶好の遊び道具だった。

母は、常に目に見えない存在に対する畏敬の念を伝えてくれ、何か問題が起きれば、なりふり構わず子どものために命を懸ける強さを常に感じて育った。

また、とてもクリエイティブな発想の持ち主で、常識にとらわれず試行錯誤することを愉しむ人だ。

この両親の姿に大きな影響を与えられた。

 

大阪の大学に進学したくらいから、やっと自分というものを表現できるようになる。

その成長過程で、「自分が選んだ人生を歩めているか」「世のため人のために正しい実践ができてるか」「ちゃんと責任を背負っているか」といった課題に何度もぶつかる経験をした。

絶好のタイミングで、友から大切な言葉をもらう。

逆境体験

その後、結婚し、岡山に住むことになるのだが、やはりまだまだそこは経験不足。

自分の道を歩むことと、家族と幸せに過ごすということのバランスのとり方が分からず、一番身近な存在である妻に多くの迷惑をかけた。

当時小さかった長女にも、少なからず影響を与えたに違いない。

にもかかわらず、35歳で大阪に移住し、実家の会社がいつ倒産してもおかしくない現状を知った時、ここで逃げることはできないと覚悟を決めることになる。

そしてまたも家族に迷惑をかけることになることは分かっていながら…。

具体的な説明は省くが、幼少の頃の「育ち」の中で感じたキラキラ輝く生活の中に溶け込んだ仕事の現場が、時代遅れになり取り残された姿に変化したこと。

このままで終わらせることはできないという感情が、自然に沸き起こった。

そして父の一言、

「お客様がひとりでもいる限り、この仕事は続ける」

この言葉には、ぼくの心を揺さぶる十分すぎるほどの価値があった。

それが、今の仕事をしている理由だ。

 

天意 must→needs

この仕事に本気で向き合うことで、多くのニーズに気づくことができた。

まずは、この地域がこの地域であるための理由が内在している「暗黙知」と呼ばれる言語化できない習わしや個人の想いというものが、薄れていっていること。

本来、地域コミュニティのベースには「暗黙知」があり、さらにその基盤には、里山里海といった自然があった。

その地域コミュニティのベースが崩れていっていることに、危機感と興味を抱いた。

また、何か始めたいと志した人が、そもそもスタート地点に立つまでの準備を応援するサービスが、社会にはほとんど存在しないこと。

貨幣経済の視点で考えると、利益になかなか通じないからこそ、サービスがないのだろう。

そういったニーズに気づかせてもらえたのは、軽印刷は大規模は印刷会社と違い、個の小さな小さな思いをカタチにしていくお手伝いをすることが多いからだ。

 

天真 must→wants

また、仕事を通して、自分の中にある喜びに気づくことができた。

ひとつは、相談相手が気づきもしない第3の答えを提案できたときだ。

これも軽印刷だからこそ、相手の気持ちにゆっくりと向き合うからできる。

また、実家を手伝うことを決めたとき、利益を上げることを最優先にするのではなく、まずは地域からありがとうと言ってもらえる存在になることを大切にしようと決めたことも、大きく影響している。

だからこそ、お互いの立場に関係なく、素直な意見交換ができる。

人と人がつながる瞬間を生み出すこと。

これも、たまらなくワクワクする。

そして、「ありがとう」という言葉と同時に、成長の機会を与えていただけること。

これも、ワクワクしかない!

 

must、needs、wantsを組み合すことで生まれた3つの実践

この今なすべき仕事に向き合うことで気づいた「needs」と「wants」を組み合わすことで、多くのプロジェクトを立ち上げることができた。

ひとつが、会社の2Fを利用したコワーキングスペース「LiTa Studio ELABO」だ。

人がリアルに集うことで、新しい繋がりを創出する。

軽印刷の仕事の意味が、「人と人が繋がるためのコミュニケーションツールを提供する」こととするならば、コワーキングスペースは、大切な役割だ。

次が、北陸三県ありがとうプロジェクト。

このプロジェクトの中に「おやべローカルかわら版」がある。

リレー方式で地域の方を紹介していただき、取材して記事にする活動だ。

そして必ず紹介者には、「ありがとう」の言葉を手書きで書いてもらう。

このありがとう集めを通して、多くの人との出逢いと地域に埋もれている価値(暗黙知)を発見することができた。

さらに、駄菓子屋、養蜂部、いいらぼ畑、修身を学ぶ会富山といったバラエティに富む活動も始めた。

これらは、直接本業とは関りはないが、本業を通して気づいた「needs」と「wants」に繋がる大切な活動だ。

 

天命/ど真ん中

いま紹介した多様なプロジェクトの、さらに中心にある活動こそ、「ど真ん中名刺100人プロジェクト」だ。

仕事、社会貢献活動、趣味やワクワクすること。

この3つを違うものだと捉えるのではなく、仕事であり社会貢献でありワクワクするという、3つを重ね合わせたど真ん中を自分の仕事なんだと思える人を増やすこと。

そして、その生き様を表現する名刺を制作するお手伝いをする活動だ。

100人と限定したのも、意味がある。

ひとりひとりと、深く長くお付き合いできる関係性でありたいからだ。

 

ぼくにとって、このど真ん中を生きる生き様こそ、子どもの頃から父親の背中から感じた生き様であり、時代遅れとなった会社に元気を与える希望の活動であり、自分自身が納得し理想と思う生き様だ。

 

座右の問い

これらの実践を常にぶれずに前進させていくために、「座右の問い」を持ち、悩んだときは常に自分に問いかけて答えを出すようにしている。

それが、

「先義後利で判断しているか」

「全力で軽印刷か」

という2つの問いだ。

いつのまにか損得勘定で判断してはいないか。

軽印刷だからこそ応援できるサービスがあるにも関わらず、規模や影響力といった見た目の価値観に惑わされていないか。

そこを常に問いかけている。

 

志/ライフスタイルモデル

また、「思いもよらない答えを見つけ総合判断できる人になる」という志を抱き、なすべき実践の原動力としている。この志は、小学生低学年の時からの変わらない志だ。

幼少の頃に思い描いたスーパーヒーローの姿こそ、パワーではなく、誰かを幸せに導く総合判断力を持ち合わせた姿だったからだ。

最近、もうひとつ「志」となる目指すべき生き様がある。

それは

「自分に起こることをすべて受け入れ、相手を信じ切ることのできる人間になる」

この志は、家族の愛に触れることで生まれた。

現在進行形で、家族を通して、多くの学びを頂いている。

これは生涯を通してのミッションになりそうだ。

この「座右の問い」と「志」を胸に、実践を繰り返していこうと思う。

大志

さらに、自分の命の寿命に関係なく、50年先、100年先になるかもしれないが実現したい大志がある。

 

「誰もがど真ん中を生きることが当たり前となる社会の実現」

 

なぜ今の社会ではできていないかというと、一番大きなボトルネックは貨幣経済への依存なのだろう。

もし、お金を稼がなけれな生きていけないという価値観が崩壊したとき、人はどう生きるか。

ど真ん中を生きるだろう。

自分の得意なことを活かしながら、誰かに喜ばれ、自分もワクワクして生きる。

そんなど真ん中を誰もが当たり前で生きるには、社会全体が多様性を受け入れる世の中であるということも必要になるのだろう。

ダイバーシティな社会を目指すということと、持続可能な社会を目指すということと、ど真ん中を生きるということは、実は非常に似ているのかもしれない。

 

もし、この大志が実現したら、2つの大きな変化が生まれるのではないか。

ひとつは「老後」という言葉の死語化だ。

「老後」は、仕事をリタイアした後の人生を指す言葉だ。

しかし、ど真ん中を仕事とする人にとって、仕事をリタイアするという感覚はなくなるはずだ。

自分の価値を提供し、社会に喜ばれ、自分もワクワクする。

それが仕事なのであれば、人からやめろと言われても続けたいと思うはずだ。

生涯、ど真ん中を仕事として生き切る。

それが当然と思える社会になればいいな。

その結果、老後という言葉が死語となる。

また、ど真ん中を生きる者同士が連携しあうことで、そのコミュニティこそ貨幣価値では計ることができない生きる上での大切なセーフティネットとなるはずだ。

単にビジネスパートでもない、趣味の仲間でもなく、ど真ん中を生きる価値を理解した自立した者同士のコミュニティだ。

そういったコミュニティが多層的に生まれ、社会を作り上げていく。

それが大志だ。

 

投資先

これは決して夢物語ではなく、今から100年も満たない期間で達成するのではないかと本気で思っている。

そのためにも、自分が稼いだお金と有限な命の時間は、ど真ん中を生きる仲間と自分の姿を見て成長する子供たちに投資していきたい。

俯瞰力

さらに、今語った物語を、自分が関わる業界、地域、日本にとってどんな役割があるのか、どんな未来を生み出すのかを俯瞰して考えてみる。

 

実践×業界×未来

軽印刷の業界としては、志を抱いた人がスタートラインに立つまでの準備期間を伴走してあげる役割。

これは利益優先で考えると、ビジネスになり難いステージだが、そこにこそ軽印刷業界の使命があるということ。

また軽印刷業は家内制手工業が中心であるが、そこから拡大路線で工業化を目指すのではなく、敢えて家内制手工業という立場にとどまり、ここに評価経済の世界観をプラスし、新しい家内制手工業2.0といった仕組みを構築していきたい。

実は、それこそ個の時代の次の新しいカタチなのではと思っている。

AIには難しいローカルな仕事だ。

 

実践×地域(富山)×未来

地域では、富山にかかわらず地方にとっての地域課題の根っこにあるのは、「暗黙知」と「開示知」の認識のズレにあるように感じている。

社会全体の方向性や科学的根拠で導きだされる答えと、地域資源や暗黙知の視点に立った時の答えのズレ。

それが地域課題だろう。

そう捉えると、「暗黙知」を大切に扱う軽印刷は、大きな社会的役割がある。

 

また、富山県がもう一歩成長するためには「志の地産地消」が重要だろうと認識している。

自然、食、エネルギーが豊かな富山にとって、今一歩必要なのが、志を抱く仲間を地域で応援できる環境なのではないか。

軽印刷がこれまでの実績で貯めた地域の暗黙知に加え、小さな最初の一歩を応援するサービスを安価にスピーディーに提供できるスキルを持ち合わせていることで、可能にしていくのではないか。

 

実践×日本×未来

日本に至っては、これから10年、20年で大きな社会変容が起こるだろう。

そのとき世の中が混乱する中、これまで培ってきた軽印刷としての人脈と暗黙知が、社会変容を支える力になるのではないか。

変える力ではなく、支える力だ。

この地域にどんな思いのある人がいるのか、どんな活動が芽生えているのか、何を大切にしている価値がこの地域にあるのか。

この時にこそ、養蜂のような一次産業に関わるお手伝いをしてきたことが役に立つと思っている。

さらに、家内制手工業2.0といった、新しいモノづくりのカタチを提案していくことで、東洋の価値と西洋の価値を融合させる働き方というものを作り上げることができるのではないか。

信頼、共有、家族的、クラフト、心、中庸、そういったキーワードとDX時代がうまく融合していく。

ど真ん中を生きる仲間同士の100人以下の小規模コミュニティも、新しいモノづくり、新しい働き方のモデルになっていくように思う。

 

はじまり。

ここまで、大きな物語を語ってきたが、物語のはじまりは、今なすべきことに向き合うこと。

それしかない。

 

地域の暗黙知の図書館である。

4人のこどもたちの父である。

その前提として、ひとりの人間として、ど真ん中を生きる。

過去に向き合い、未来を見つめ、軸足は常に今を生きる。

​そこからだ。

更新:2021年2月23日 山科 森

※ど真ん中エディットワークでは、上記のようなストーリーを考えていただき、名刺に落とし込んでいきます。

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