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価値、関係性、イマココ

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 24番目の嘘 カジノのような投機的取引こそが、金融システム改革によって解決すべき問題だ この章は、一見すると 「投機は悪だ。だから規制すればよい」 という話に見える。 しかし問題は、投機家そのものではない。 投機を生み出し続ける、金融システムの構造そのものにある、ということだ。 その構造を、著者は「カジノ」に例えている。 1.利子の支払い カジノでは、プレイするために現金をチップに替える。 もし手持ちがなくなれば、さらに借りることもできる。 しかし借りれば、当然利子が発生する。 しかも返済を先延ばしにするほど、その利子は増え続ける。 お金を借りることは、未来の自分から前借りすることだ。 その結果、人は もっと利益を出さなければならない。 もっと早く結果を出さなければならない。 と追い立てられる。 特にカジノのような世界の中では。 一人の人間としての信用を重視してお金を貸してくれたわけではない。 利子は、単なる金融コストではなく、 未来への不安を増幅する装置にもなっている。 2.仲介手数料...

今日をどう生きるか

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 23番目の嘘 年金と貯金があれば老後が安心 毎度のことなんだけど、AIにお世話になりつつ内容をまとめたい。 特に今回、年金のシステムのことをこれまであまり理解しようとしたことがなく、本文だけではなかなか理解できなかった。 家族が仲良くあること。 ど真ん中を生きる仲間と繋がる。 この2点を大切にできるといいなと思っていて、実際の年金の問題を考えたことはなかった。 今回の章は、「老後の安心」と聞くと 「いくら貯めればいいのか」 「年金はいくらもらえるのか」 「どんな金融商品で運用すればよいのか」 という、お金の「量」の話がメインになるのではないか。 しかし本書は、その前提そのものを問い直してくる。 「年金と貯金があれば老後は安心」という嘘を支える、4つの問題を挙げている。 1.人口動態の変化 これは比較的わかりやすい。 年金受給者が増える一方で、それを支える現役世代の人口は減っていく。 少子高齢化という言葉で何十年も前から語られてきたことだ。 つまり、支える人が減り、支えられる人が増える。...

自分を愛することと他人を愛すること

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 22番目の嘘 私たちはお金に依存している 21番目の嘘では、自立は次のように定義されていた。 自立とは、あなたが意識的にある活動のソースになって行動を起こし、そこから起きることの責任を引き受けることである。 つまり自立とは、誰にも頼らないことでも、お金を持つことでもない。 自分が起点となり、行動を選び、起きる結果をコントロールしようとすることを手放し、自分として応答し続ける在り方である。 この定義に立ったとき、22番目の嘘である「私たちはお金に依存している」という言葉の意味は、まったく違って見えてくる。 私たちは確かに、何かに依存して生きている。 しかし、それは本当に「お金」なのだろうか。 現実には、食べ物も、水も、エネルギーも、すべては誰かの営みによって支えられている。 私たちは、人との関係性の中でしか生きることができない存在である。 それにもかかわらず、「お金に依存している」と感じるのは、お金がその関係性を数字として集約し、見えなくしてしまうからかもしれない。 ここで、自立の定義に立ち返る。...

服装

修身を学ぶ会富山 第10講 肉体の護持 最近、妻から服装について注意されることが増えた。 なにも、立派な服やおしゃれな服を着てほしいということではない。 50歳を超え、それなりの経験と学びを重ねてきた中で、内なる人間的成長と服装の「周波数」を合わせてほしい、ということだと理解している。 服装以外にも、「魂を傷つけてはいけない」と注意される。 何かを我慢すること、本当に望んでいるものを諦めること。 そういった言動や選択をしたときに、指摘されるのだ。 それと同じ流れで、服装についても注意される。 何度となく言われてきたが、これまでの自分は、あまり関心を向けてこなかった。 ただ、今回この講を読み、改めて妻が伝えようとしていることの大切さに気づいた。 そして、僕自身が次のフェーズに移行する時期なのかもしれない、とも思えた。 とはいえ、「次のフェーズ」といっても、偉くなるということではない。年齢的な節目、という意味合いでもある。 今回の講で語られていたのは、「生涯をかけて向き合う大願を立てること」であった。 その願いを立ててはじめて、人は一人前の人間として

たっしーへ。

閉ざされた現場に、もう一度光が当たるとき 友人がFC今治の視察に行くという話を聞き、岡田さんと田坂さんの対談を思い出した。 久しぶりに、田坂さんの講演動画を拝見した。 人は必ず死ぬ。 成功は約束されていないが、成長することはできる。 いつもながらの田坂節が、心に響く。 ただ昔と違い、人はもっと多様な存在だとも思うようになった。 成長することを否定するわけではない。 しかし、成長の優先順位が低い人もいる。 成長を望めない時期もある。 疲れや諦め、無力感の中で、成長や変化そのものに無関心になることもある。 ちょうど今朝の音読会のテーマともつながる。 現代文明は、人々が孤独に気づかないように、さまざまな鎮痛剤を提供する。(エーリッヒ・フロム) 痛み止めを打って無感覚になれば、他人にも、自分にも、無関心になっていく。 孤独とは、自分とつながれないこと。 自分を愛せないこと 。 そう思えてしまうのは、その人自身の問題だけではないのかもしれない。 これまで生きてきた環境かもしれないし、社会全体の影響かもしれない。 あるいは、偶然の重なりかもしれない。...

推譲とペイフォワード

土曜日の朝は、1週間の振り返りの音読会になる。 その中で「ペイフォワード」の話があり、ふと、二宮尊徳の「推譲」のことを思い出した。 ■ 推譲とは何か ― 自譲と他譲、そして循環という視点 まず、尊徳のいう「推譲」には、二つの側面がある。 ひとつは「自譲(じじょう)」、 もうひとつは「他譲(たじょう)」である。 自譲とは、自分の欲を抑え、生活の上限(分度)を守ることで、 未来のために備えをつくること。 他譲とは、その余剰を家族や地域、社会のために役立てていくことを指す。 つまり推譲とは、単に他人に与えることではなく、 自分の内側を整えること(自譲)と、外側へと価値を循環させること(他譲)を含んだ営みだ。 この考え方は、「ペイフォワード」と似ているようでいて、少し異なる。 ペイフォワードが、受け取った善意を次の誰かへ渡していく「行為の連鎖」であるのに対し、 推譲は、そもそも自分の取り分を定め、そこから生まれる余剰を未来や他者へ回していくという、 暮らしや経済そのものの設計に関わる思想である。 ■ 割合で考える一つのモデル たとえば、1か月の収入が2

自立

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 21番目の嘘 お金があれば自立できる 自立とは、あなたが意識的にある活動のソースになって行動を起こし、そこから起きることの責任を引き受けるという意味を持つ。(212p) 本書には、このように自立を再定義する一文がある。 一般的に語られる自立とは、 お金を稼げること 生活できること 誰にも頼らないこと といった「状態」を指すことが多い。 しかし、ここで語られている自立は、状態ではなく「在り方」である。 「ソースになる」とは何か 「 あなたが意識的にある活動のソースになる 」とは、自分が起点になるということだ。 誰かに言われたからやるのではない。 状況に押されて動くのでもない。 自分の内側から湧き上がる「これをやる」という声に従い、自ら選び、一歩を踏み出すこと。 そこには、リスクを引き受ける覚悟も含まれている。 「責任を引き受ける」とは何か 次に重要なのが、「 そこから起きることの責任を引き受ける 」という点である。 責任(responsibility)はresponse(応答)+ ability(能力)..

無限の時間を生きる

修身を学ぶ会富山 第13講 伝記を読む時期 偉人とは、自己の生命を最も深大に生きた人と言えるでしょう。 今回は、この言葉が心に留まった。 どこまで深く生きるか――そこには制限がない。 では、ここでいう「深さ」とは、どのように捉えるべきだろうか。 肉体的な生命の長さには限りがあるが、生命を深く生きることには制限がない。 この「制限」という言葉の含みには、「時間」をどう捉えるかという問いがあるのだろう。 有限の時間の流れの中で、無限の時間の流れを感じながら生きるには。 その在り方こそが、「深さ」につながるように思う。 では、無限の時間の流れを感じる時とは、どんな時だろうか。 ここでいう無限の時間とは、「退屈な時間が続くこと」ではなく、「時を忘れて没頭する時間」のことだろう。 時間の流れが消える瞬間。 人生において、どんな条件が揃うと、人は没頭できるのだろうか。 今、この瞬間にある気づきが、この世界の中で唯一自分だけのものだと自覚できた時。 さらに、その気づきが、これまでの長い人類の歴史の中でも唯一無二のものだと、疑いなく信じられる時。...

プペル

映画『えんとつ町のプペル 約束の時計台』 本『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である』 この2つを重ねながら、プペルについて勝手気ままに語ってみたい。 我が家は、前作のプペルがとてもよかったので、妻と次女と末っ子が先に鑑賞した。 末っ子は、いろんな場面で泣いていたらしい。 問題は妻である。 妻はとても繊細で、たとえばポケモンやドラえもんですら大泣きするタイプだ。 その妻が、末っ子が大泣きしたにも関わらず、まったく涙が出なかったという。 そのこと自体が不思議だったらしく、 「なぜ感動できないのか」「なぜ涙が出ないのか」 そこに強い違和感を覚えたようだった。 そして、ぼくと長男にもぜひ観てほしいと言われ、妻は2度目、ぼくと長男は初めてという形で一緒に観に行った。 結論から言うと、妻はやはり感動できなかった。 そして、その理由がわからないまま、ずっとモヤモヤが残ったままだった。 一方ぼくは、涙こそ流さなかったが、素直に「いい映画だな」と感じ、満足していた。 妻の感想をまとめるとこうだ。 ・登場人物に感情移入できなかった ・複数の物語が中途半端に感

暗黙の合意形成

人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である 樋口耕太郎 著 毎朝5時からの音読会で読んでいる本。 今朝のテーマは「無理ゲー」。   朝の音読会の対話の中で、正確に記憶しているわけではないが、こんな会話があった。   「在来種のみかんを育てたいが、そのみかんは一般に流通しているものほど甘くなく、ニーズがないため、作ることを断念した」 「無農薬で野菜を育てたいが、労力のことを考えると難しい。農業で生計を立てている人に、農薬を使わずに育ててほしいとお願いするのはどうなんだろう」   そんなニュアンスだった。   在来種を育てる。 無農薬の野菜を育てる。   ニーズの問題、販路の問題、労力の問題。 そのすべてに共通しているのは、「お金」の問題なのかもしれない。   「しかし、家族を養うことを考えると…」 「地域との関係を考えると…」   この言葉が出てしまうと、「そうだよね」と納得せざるを得ない。 それ以上の議論もできるのだろうが、どうしても信念の違いや対立構造が入り込んできそうだ。   僕自身も、暗黙のうちに、 「あ、このテーマはこれ以上踏み込んでは

バケツの穴

人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である 樋口耕太郎 著 毎朝5時からの音読会で読んでいる本。 今朝のテーマはここ。 「バケツの穴」 ここでは、資本主義経済の姿が、バケツとその中の水にたとえて、わかりやすく表現されている。 労働者が働いているバケツ。 そこでは、付加価値を生み出すことでお金(水)が増えていく。 そのバケツの真下には、さらに大きな「金融市場」というバケツがある。 そのバケツにいる資本家は、自分たちでは付加価値を生み出さない。 労働者のバケツの底に穴をあけ、そこから落ちてくる水を受け取ることで成り立っている。 そんな構図の話だった。 今朝の音読会では、しばらく病気で参加できていなかった関さんが、久しぶりに元気な姿を見せてくれた。 関さんの話を聞きながら、そして場にいるみんなの声に触れながら、浮かんできたことを三つ残しておきたい。 ① 二つのバケツの外に立つ この二つのバケツの話は、労働者と資本家の違いを理解する上で、とてもイメージしやすいメタファーだと思う。 ただ同時に、そこから抜け落ちている視点もあるのではないかと感じた。 それ

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