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知行合一

修身を学ぶ会富山 第13講 鴎外の一言 優れた人物とは、誰に話すわけでもなく、自分にとってかけがえのない「ルール」を持っているのだろう。 しかも、想像するに、そのルールは、本人にとっては「当たり前」になっているはずだ。 つまり、ルールがその人の血となり、肉となっている。 それが、他人からすると特別なことであることにも、本人は気づかないほどに。 さらに言えば、その人を支えている「ルール」は、意外にもシンプルなのだと思う。 小学校低学年くらいには、きっと学んでいるようなこと。 森鴎外の言葉は、これだった。 「その人の面前でいいにくいようなことは、たといその人がいない場所でも、いわないようにしなければならぬ」 この一言を、生涯かけて履践していく。 それが、森鴎外という人物をつくっていた。 もし、日常の仕事の中で、目の前の人から、その人自身をつくりあげている大切な「聖なる言葉」を聞かせてもらうことができたなら、それは何と感動することだろう。 その人の中にある、本当の言葉に出逢う。 そんな仕事をしていきたいと、強く思えた。 この講で大切なのは、ただ「知る」

事実と真実

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 28番目の嘘 問題もお金、解決もお金 本書には、次のような一節がある。 お金自体は決して問題ではありません。また、お金で問題を解決することはできません。私たちは何十年、あるいは何世紀にもわたる経験を経て、お金では問題を解決できないと学んできているはずです。 直感的に伝えている内容は正しいことは分かる。 ただもう少し具体的に考えてみたい。 お金があれば解決できる問題は数多くある。 病院にも行ける。 家も建てられる。 教育も受けられる。 食べるものにも困らない。 だから「お金では問題を解決できない」と言われても、少し極端に聞こえる。 歴史を振り返れば、人類は何度も「もっと豊かになれば幸せになれる」と考えてきた。 そのために、権力と戦争を絶えず行ってきたことは間違いない。 けれど、結局 お金が増えても戦争はなくならない。 環境問題もなくならない。 孤独もなくならない。 家庭の不和もなくならない。 心の不安も消えない。 つまり、お金は手段にはなっても、問題の根には届かない。 では、本当の問題はどこにあるのだろうか

諦める人生

修身を学ぶ会富山 第12講 「感想」を読んで 「自分の人生を真実に生きる」と本気で考える人は、一体どれくらいいるのだろうか。 これまでの人生を振り返ると、ぼくは何度も自分の人生をあきらめてきたように思う。 中学時代、落合信彦氏の本に出会い、夢中になって読み漁った。 本の中には、自分の足で世界を歩き、自らの人生を切り拓いていく生き方が描かれていた。ぼくはその生き方に強く共感した。 しかし、自分の進路を海外へ向けることはなかった。 なぜなら、「自分にはできるはずがない。それは夢物語の世界だ」と、最初からあきらめていたからだ。 中学時代は部活動にも打ち込み、高校に進学したら全国大会を目指そうと仲間たちと誓い合った。 しかし、高校進学の際には、部活動の強豪校ではなく進学校を選んだ。 大人の顔色を見て決めた進路だった。 当時は、自分の意思というよりも、大人や社会の空気に責任を押し付けていた。 でも、本当は違う。 確かに大人からのプレッシャーはあった。 しかし、最終的に選んだのは自分だった。 なぜか。 厳しい練習から逃げたかったのだ。 自ら逃げたという事実を

ハタラクとは

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 26番目の嘘 お金は出ていっても いずれまた入ってくる これは嘘かどうかという以前に、 「お金を出せば、また入ってくる」 という考え方の奥にある心の動きを説明してくれているように思う。 もし、 「与えれば得られる」 「寄付すれば豊かになる」 という計算が心のどこかにあるなら、その行為はすでに欠乏や恐れから始まっている。 本当は与えているようでいて、受け取ることを目的にしている。 だからこそ、かえって欲しいものから遠ざかってしまう。 たとえばワールドカップの後、日本人サポーターがゴミ拾いをするニュース。 世界から称賛される。 もちろん素晴らしいことだと思う。 しかし同時に、どこか興ざめする感覚もある。 ゴミ拾いそのものではない。 ニュースになった瞬間に、何かが変質してしまうような感覚だ。 寄付にも少し似たところがある。 ぼくは寄付そのものが嫌いなわけではない。 しかし、 「寄付してください」 と言われると、少し身構えてしまう。 なぜだろう。 ひとつには、日本人の「働く」という感覚の中に、もともと社会貢献が含

人生の深さ

修身を学ぶ会富山 第14講 人生の深さ 人生を深く生きる人は、身近に誰がいるだろうか。 そう考えたとき、真っ先に妻と子どもたちの顔が浮かんだ。 妻も4人の子どもたちも、誰かと比較することはできない。 一人ひとりが見ている世界も、感じていることも、向き合っている方向も違う。 それでも、それぞれが人生を深く生きていると感じる。 「世の中に繊細であること」 これは一見すると、生きづらさの象徴であり、世の中から求められる生き方に合わせることは、とても大変なことだ。 しかし、その繊細さこそが、人生を深く生きる力になるのではないかと思う。 人生を、長さではなく深く生きたいと願うことはあるかもしれない。 しかし一方で、それを前向きな選択としてではなく、「人生を深く生きる道しかない」と感じながら生きている人もいるのではないだろうか。 もし、その生き方をネガティブなものだという思い込みがあるとしたら、僕にできることは何だろう。 人生を深く生きる道しか見えない人の生き方に触れ、その人とつながることで、僕自身も変わり続ける。 もし、その出会いが僕に変化をもたらしてくれ

価値、関係性、イマココ

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 24番目の嘘 カジノのような投機的取引こそが、金融システム改革によって解決すべき問題だ この章は、一見すると 「投機は悪だ。だから規制すればよい」 という話に見える。 しかし問題は、投機家そのものではない。 投機を生み出し続ける、金融システムの構造そのものにある、ということだ。 その構造を、著者は「カジノ」に例えている。 1.利子の支払い カジノでは、プレイするために現金をチップに替える。 もし手持ちがなくなれば、さらに借りることもできる。 しかし借りれば、当然利子が発生する。 しかも返済を先延ばしにするほど、その利子は増え続ける。 お金を借りることは、未来の自分から前借りすることだ。 その結果、人は もっと利益を出さなければならない。 もっと早く結果を出さなければならない。 と追い立てられる。 特にカジノのような世界の中では。 一人の人間としての信用を重視してお金を貸してくれたわけではない。 利子は、単なる金融コストではなく、 未来への不安を増幅する装置にもなっている。 2.仲介手数料...

今日をどう生きるか

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 23番目の嘘 年金と貯金があれば老後が安心 毎度のことなんだけど、AIにお世話になりつつ内容をまとめたい。 特に今回、年金のシステムのことをこれまであまり理解しようとしたことがなく、本文だけではなかなか理解できなかった。 家族が仲良くあること。 ど真ん中を生きる仲間と繋がる。 この2点を大切にできるといいなと思っていて、実際の年金の問題を考えたことはなかった。 今回の章は、「老後の安心」と聞くと 「いくら貯めればいいのか」 「年金はいくらもらえるのか」 「どんな金融商品で運用すればよいのか」 という、お金の「量」の話がメインになるのではないか。 しかし本書は、その前提そのものを問い直してくる。 「年金と貯金があれば老後は安心」という嘘を支える、4つの問題を挙げている。 1.人口動態の変化 これは比較的わかりやすい。 年金受給者が増える一方で、それを支える現役世代の人口は減っていく。 少子高齢化という言葉で何十年も前から語られてきたことだ。 つまり、支える人が減り、支えられる人が増える。...

自分を愛することと他人を愛すること

マネーバイアス ピーター・カーニック 著 22番目の嘘 私たちはお金に依存している 21番目の嘘では、自立は次のように定義されていた。 自立とは、あなたが意識的にある活動のソースになって行動を起こし、そこから起きることの責任を引き受けることである。 つまり自立とは、誰にも頼らないことでも、お金を持つことでもない。 自分が起点となり、行動を選び、起きる結果をコントロールしようとすることを手放し、自分として応答し続ける在り方である。 この定義に立ったとき、22番目の嘘である「私たちはお金に依存している」という言葉の意味は、まったく違って見えてくる。 私たちは確かに、何かに依存して生きている。 しかし、それは本当に「お金」なのだろうか。 現実には、食べ物も、水も、エネルギーも、すべては誰かの営みによって支えられている。 私たちは、人との関係性の中でしか生きることができない存在である。 それにもかかわらず、「お金に依存している」と感じるのは、お金がその関係性を数字として集約し、見えなくしてしまうからかもしれない。 ここで、自立の定義に立ち返る。...

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