時間を超える
修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...
純真さ
修身を学ぶ会富山 第2講 立志 真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、障がいの根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。...
人の望み
修身を学ぶ会富山 第38講 置き土産 自分とは一体何者なのか。 それを問いつづけることが人生なのかもしれない。 自分は誰なのか。 肉体が自分なのか。 思考が自分なのか。 感情が自分なのか。 考えて、言葉にして、話しているのは、「ほんとうの自分」なのか。...
行とは何か
修身を学ぶ会富山 第36講 一日の意味 今回の講に有名な論語の章句が紹介されている。 どんな風に紹介されているかというと。 道理を知るということは、非常に大事なことであります。またその方法の一つとして読書も、なかなか重大な意味を持つわけですが、しかしそれは実行を予想して初め...
因縁の持つ無限の意味
修身を学ぶ会富山 第1講 挨拶 因縁の持つ無限の意味。 今日はこの言葉が心に残った。 インターネットがあるおかげで、容易に人と繋がりやすく、容易に人と分断を生みやすい。 人の身体感覚を超えるスピードで人が繋がっていく。 このスピードに、元来の因縁を見出すことはできるのだろう...
批判的態度
第35講 批判的態度というもの 何かを学び、自分のものにしたいと願った時、傍観者的立ち位置からではなく、内側に飛び込む姿勢でしか獲得できない学びがあることは確かだと思う。 ただ、その学びが、本当の自分の身となる知になるかどうかは、内側に飛び込んだままではなく、必要なタイミン...
ねばる力は一体どこからやってくるのか
第34講 ねばり 名刺を制作している時に、「あ、この方のねばる力が強いな」って感じる時がある。 むしろ、この相手の「ねばる力」をどこまで自分が受け止められるかという真剣勝負の場のようにも感じる時がある。 最後の瞬間まで、気が抜けない。...
アンパンマン
修身を学ぶ会富山 第40講 わかれの言葉 今回で第一部が終わりました。 次回から第二部がスタートします。 以下、感想。 闇夜の燈火 言挙げ この二つの言葉が心に残る。 人生の闇夜を照らす光になりえるのは何だろうか。 これまでの記憶、誰かの後ろ姿、思い出、、。...
人生の揺らぎ
修身を学ぶ会富山 今回は、参加者がスムーズに集まることができず、「修身教授録」ではなく日々の出来事を語りながらの修身を学ぶ時間となりました。 その話の中で振り返った最近の想いをシェアできればと思います。 これは以前にもブログにも書いた記憶がありますが、改めてまとめて書き記し...
民風
修身を学ぶ会富山 第38講 小学教師の理想 まず思い浮かんだのは、親子論語塾の安岡先生の眼差しだ。 0歳から12歳ぐらいまでの子どもたちの前で、語りかけてくれている姿は、子どもたちの10年後、20年後、30年後を思い浮かべて語ってくれているのが、ガンガン伝わってくる。...
ブレーキの正体
修身を学ぶ会富山 第29講 人生は妙味津々 人生は妙味津々と感じる力は、すごく大切だ。 ただ、いつもそう感じることができるかというと、できない。 不思議なもので、家族の問題になった瞬間に、妙味津々という心ではなく、苦の世界に見えてしまう。...
志に誠を尽くす
修身を学ぶ会富山 第36講 誠 最近のぼくの悩みは、まさに「誠」にあると気づいた。 最近ずっと心が定まらない状態が続いていた。 「心が喜ぶことに没頭する」 その大切さを伝える本を読み込んだこともひとつの要因だ。 これからの時代を考えたとき、特にAIの進化を通じて、人間が学習...
平常心是道
修身を学ぶ会富山 第28講 平常心是道 表裏なく、まっすぐ生きる道。 そういった生き方をしようと志す人にとって、今の世の中は、まだまだ生きづらいのではないか。 これは、子どもたちの成長から思うこと。 大人は、敢えてそういった生き方を志すことになるが、子どもは、そのままで、ま...