修身を学ぶ会富山
第40講 わかれの言葉
今回で第一部が終わりました。
次回から第二部がスタートします。
以下、感想。
闇夜の燈火
言挙げ
この二つの言葉が心に残る。
人生の闇夜を照らす光になりえるのは何だろうか。
これまでの記憶、誰かの後ろ姿、思い出、、。
そういった映像は光になるのだろうか。
映像は電源と光がないと映しだすことができない。
つまり、闇夜だと、光になれないのではないか。
結局、「言葉」に照らされることになるのではないか。
しかし、「言葉」というものは難物だともいえる。
人は、言葉で自分を縛ることになる。
言葉で思考するからこそ、言葉の外に出ることもできない。
多くの人の悩みというものは、言葉から生まれているもののように思う。
だからといって、言葉を否定して生きることはできない。
言葉のマイナス面はあるにせよ、「言挙げ」をするということ。
森先生が、敢えて生徒に言葉を残すことを選択させたこと。
森先生の講義は、毎回毎回が真剣勝負であり、何も事前準備をせず、生徒と対峙したときに生まれるテーマを大切にして講義されてきた。
しかも、その自分の講義を生徒に書き残させたのである。
森先生は学年始めの挨拶で
「諸君たちの縁は天の命であり、それを慎んでお受けする。これが最善の人生態度であり、この根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えない」
という言葉を話されている。
そして、最後の別れとして、この1年間に発した言葉と言挙げを、これから長く続くであろう生徒の人生を照らす燈火にしようとする。
教育者としての生き様を垣間見ることができた。
この意味は、すごく深いように思う。
尚友の浦井さんから。
言葉にすることはやさしさであり、勇気だ。
こんな言葉をいただいた。
アンパンマンを思い出す。
ここはぼくの弱点でもある。
相手との繋がりを大切にしようとするのに、最後の最後に、優しさがでない。
最後の最後に、なぜ優しさに至れないのか。
勇気がないだけなのか。
それとも、本質的には、繋がりを恐れているのか。
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