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意図せず世代を超える

修身を学ぶ会富山

修身教授禄続

第2講 立志


「死後に生きる」というテーマに対して、すごく共感していた時期があるのだが、一度躊躇した時がある。


「人生二度なしという覚悟で生きているが、死後に何かを残す生き方は選びたくない」

そんな声を聴いた時だ。

その発言を否定したいという感情が生まれたことを思い出す。

心が揺らいだ。



今、どう思っているのか。


大事なのは、時の流れを一度手放す。

時間を超える。

時間が消える生き方が大切なのだと思う。


一日の時間の中で、どれほど時を忘れ何かに夢中になれている時間を生きているか

それが大切なのではないか。


自分のエゴのために夢中になるということではない。

いや、本当の意味で夢中になれるのは、エゴを満たすものではないはずだ。


何かの力で突き動かされる。

この自分の範疇を超えた力を信じてみることなのかもしれない。


これも言葉って不思議なもんで。

「信じてみる」と書いてはみたが、実際は違う。

夢中になっているときは、信じるもなにも、すでにそうなっている。


言葉に置き換えた瞬間に、過去から今、今から未来に流れていく時間を意識することになる。

だけど、本当は、流れがない。

流れがないことを言葉にするのは非常に難しい。



話を戻す。


その自分の範疇を超えた力の源泉は、きっと多くの方と繋がっている夢なのかもしれない。

もしそうなら、その力から生まれた志は、意図せずとも世代を超えて、現実となる力があるのではないか。


次回

6月26日(木)20時から開催です。

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