top of page

眼睛目

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

修身を学ぶ会富山

第39講 わかれの言葉



約6年つづく修身の勉強会の最後の講。

「わかれの言葉」


この文章の中に、何度も「捨石」という言葉が書かれてある。


これまでの修身では「人生二度なし」を土台として、人生を生きる指針を数多く紹介していただいた。

正直であること、一日の意味とは、ねばり、敬とは何か。


しかし、本当に大切なことは、すべては「道」であるということ。

小さな志ではなく、大志を抱き歩む道なのだ。

道は、どこまでも果てもなく続く。

しかも、立ち止まらず歩み続けること。

そうでないと道にはならない。


この「道」の終着点には、一人の人間の命の時間だけではたどり着けない。

そもそも終着点があるのかすら疑わしい。

言い換えるなら、命の長さでたどり着けることは、大志と呼ばないだろう。


そういった「道」を歩むということは、自らが「捨石」となるという覚悟が必要だということ。

道を歩みはじめた時点では、「あぁ、自分の命の長さだけではたどり着けないな」と理解しつつも、「自らが捨石となるということなのか」ということまで気づけていないかもしれない。


「捨石」になるということは、決してネガティブなことではなく、「今を生きる」ことと同義語のようにも思える。



眼睛を点ぜず

「画竜点睛」の読み下しで、「最後に加える大切な仕上げ」という意味。

森先生が生徒に伝えたかった最後の仕上げ。

この壮大な仕上げを目標にするからこそ、捨石となる覚悟が生まれる。

捨石になったとて、なんの後悔もない。

それほどに思える大志とは何か。

それを問う内容でした。



最新記事

すべて表示

開講のことば

修身を学ぶ会富山 第1講 開講のことば まず感じたのは、森先生の生徒に対する厚い信頼だ。 どんな経緯で進路を選んだにせよ、この道を選んだということは、そこに少なからずの志があったのではないか。 大きな志がある人、何んとなくという思いの志。 いやむしろ、志など私にはない。...

生命の愛惜の希薄さ

修身を学ぶ会富山 第4講 生命の愛惜 生命の愛惜を真に感じたことは、これまであるだろうか。 尊敬する方や想像もできない体験をした方から、思考を通じて、または、感情的に命の大切さを問われても、「ほんとうにそうだ」と、本心から生命の愛惜を我が事として感じる自信がない。...

時間を超える

修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...

Komentarze


bottom of page