修身を学ぶ会富山
第1講 開講のことば
まず感じたのは、森先生の生徒に対する厚い信頼だ。
どんな経緯で進路を選んだにせよ、この道を選んだということは、そこに少なからずの志があったのではないか。
大きな志がある人、何んとなくという思いの志。
いやむしろ、志など私にはない。
「どうせ・・・」「仕方なく・・・」
とエゴと自分を同一化させ、自分の心の奥に本当はある光のような志に、本人ですら気づいていない可能性だってある。
それでも、森先生は、きっとあるだろう光を、志を、全面的に信頼した上で、向き合っている。
目の前の生徒の中にある微かな光を見逃さまいと、語り掛けていく。
この「あり方」があるからこそ、生徒の心の中にあるエゴを溶かす力になるのではないか。
また、この信頼があるからこそ、生徒の予想を遥かに超える大志を、悠然と語ることができる。
この関係こそ、本物の教育の姿のように感じた。
教育とは、未来への、生命の種蒔きであるということ。
教育者は、100年先の未来を強く見据えながら、それでいて未来に心が奪われないように注意し、目の前の生徒に真剣に向き合うという、イマココを試される存在なのだろう。
そして、その力の矛先が、我が喜びであるかと問われる仕事でもある。
しかし、実は教育の世界の話ではなく、すべての仕事に当てはまることなのだろう。
次回
4月24日(木)19時30分から
zoomで開催
ど真ん中のなかまと一緒に学びましょう。
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