修身を学ぶ会富山
第39講 教育の窮極
教育の窮極目標は
自分の受け持っている子らの一人ひとりが、すべて次代を担うかけがえのない生命だということを、単に言葉の上だけでなくて、身に染みて痛感すること。
とある。
今、誤解を恐れずに素直に思うことは、まず、僕らが生を受けた日本という国を、自分は一体どこまで信じることができているのだろうか、という疑問だ。
信じるもなにも、自分がこの国で生まれた事実は間違いのないことだと思うが、、ここでいう「信じる」は、領土以外に付随してくる文化や心など、いろんなものを含めている。
「信」じる前に、果たして理解しているのだろうか。
実はここがすごく重要なのではないかと感じた。
教育者にならずとも、おおよそ残りの人生を日本で過ごすだろうし、日本で子どもたちを育てていくし、自分のため家族のために日本で仕事をしていくことだろう。
では、何のために仕事をしているのか。
この問いを深く考えていくと、日本についてどこまで知っているのかというテーマに至るのではないか。
もちろん、もっと自分の内面的な方向や、その逆に、グローバルな視点で、自分の仕事の意味を納得する答えを得られるのかもしれない。
しかし、「窮極」は、自分の国を理解することを無視することはできないのではないか。
その上で「信」、そして「証」へとつづくことを考えると、ほとんど何も理解できていない自分に出逢う。
ここで、親子論語塾の安岡先生の言葉を思い出した。
香り、感触、風景、言葉。文化は大人になってから手に入れることはできません。だから、とても大切なんですよ。
もしかすると、日本を文化として理解するには、もう難しいのかもしれない。
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