修身を学ぶ会富山
第32講 教育と礼
弓道をはじめてちょうど一年が経つ。
弓道場は、射水神社の敷地内にある。
通い始めて10ヶ月目ぐらいに、ようやく気付いたことがある。
それは、どの道を通っても弓道場に行くには、必ず鳥居をくくらなければならないということ。
鳥居の前で、立ち止まり礼ができていたかと言えば、否。
およそ10ヶ月間、鳥居の存在に気づくことができなかったのだ。
目の前に大きくそびえる鳥居が目に入らない。
ようやく最近、鳥居の前で「礼」ができるようになった。
それまでは、無自覚だったのだ。
目的や意識の違いで、人は見たいものしか目に入らない。
これはなんとも衝撃的な体験だった。
弓道の昇段審査は、「礼」から始まる。
どこに意を注ぐのか。
どんな姿勢か。
先生から、必ずこの最初の「礼」の出来不出来を注意される。
なぜ弓道を始めたのだろうか。
これはよく質問される。
普段は「特に理由があるわけではなく、思い立ったから」と答えている。
これは嘘でもなく、正しいのだが。
自分の内なる声に耳を澄ませてみると、年齢や立場などに関係なく、人間が及ばない何か大いなる力に対して、「礼」をさせていただける道を探し求めていたのかもしれない。
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