修身を学ぶ会富山
第31講 真面目
子どもの頃を振り返ると、友達が使う
「まじめだね」
という言葉には、半分は誉め言葉であり、もう半分は相手をいじっている言葉であったように思う。
また、ある年頃から、「真面目であること」は、カッコ悪いことのような空気が漂うようになる。
この空気を読まない生き方ができるか。
これは思春期の子どもたちにとって、大きなテーマになるはずだ。
時間とコストと評価の関係について。
資本主義経済の世界の中で、空気のように暗黙の見えざるルールをいつの間にか学ぶようになる子どもたちからすると、「真面目」であることは、コストパフォーマンスのよくない、あまりいいことではないように思い始めるのかもしれない。
しかし、それは単なる資本主義経済の中の表面的なルールでしかない。
本当のルールとは、力とは、使えば使うほど、無限に湧き出るものであること。
時間も有限ではあるが、覚悟次第だということ。
この本当のルールにいつ気づけるか。
とくに、井戸水のように、力は使い切ったと思っても、ちゃんと湧き出ること。
この実体験を子どもの頃に経験することは、大切なんだろうな。
そう思うと、子どものころにスポーツに熱中できたことは感謝しかない。
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