top of page

真面目

修身を学ぶ会富山


第31講 真面目




子どもの頃を振り返ると、友達が使う

「まじめだね」

という言葉には、半分は誉め言葉であり、もう半分は相手をいじっている言葉であったように思う。


また、ある年頃から、「真面目であること」は、カッコ悪いことのような空気が漂うようになる。

この空気を読まない生き方ができるか。

これは思春期の子どもたちにとって、大きなテーマになるはずだ。



時間とコストと評価の関係について。

資本主義経済の世界の中で、空気のように暗黙の見えざるルールをいつの間にか学ぶようになる子どもたちからすると、「真面目」であることは、コストパフォーマンスのよくない、あまりいいことではないように思い始めるのかもしれない。

 

しかし、それは単なる資本主義経済の中の表面的なルールでしかない。



本当のルールとは、力とは、使えば使うほど、無限に湧き出るものであること。

時間も有限ではあるが、覚悟次第だということ。


この本当のルールにいつ気づけるか。

とくに、井戸水のように、力は使い切ったと思っても、ちゃんと湧き出ること。

この実体験を子どもの頃に経験することは、大切なんだろうな。


そう思うと、子どものころにスポーツに熱中できたことは感謝しかない。

最新記事

すべて表示
諦める人生

修身を学ぶ会富山 第12講 「感想」を読んで 「自分の人生を真実に生きる」と本気で考える人は、一体どれくらいいるのだろうか。 これまでの人生を振り返ると、ぼくは何度も自分の人生をあきらめてきたように思う。 中学時代、落合信彦氏の本に出会い、夢中になって読み漁った。 本の中には、自分の足で世界を歩き、自らの人生を切り拓いていく生き方が描かれていた。ぼくはその生き方に強く共感した。 しかし、自分の進路

 
 
 
人生の深さ

修身を学ぶ会富山 第14講 人生の深さ 人生を深く生きる人は、身近に誰がいるだろうか。 そう考えたとき、真っ先に妻と子どもたちの顔が浮かんだ。 妻も4人の子どもたちも、誰かと比較することはできない。 一人ひとりが見ている世界も、感じていることも、向き合っている方向も違う。 それでも、それぞれが人生を深く生きていると感じる。 「世の中に繊細であること」 これは一見すると、生きづらさの象徴であり、世の

 
 
 
服装

修身を学ぶ会富山 第10講 肉体の護持 最近、妻から服装について注意されることが増えた。 なにも、立派な服やおしゃれな服を着てほしいということではない。 50歳を超え、それなりの経験と学びを重ねてきた中で、内なる人間的成長と服装の「周波数」を合わせてほしい、ということだと理解している。 服装以外にも、「魂を傷つけてはいけない」と注意される。 何かを我慢すること、本当に望んでいるものを諦めること。

 
 
 

コメント


bottom of page