top of page

時間を超える

修身を学ぶ会富山

第3講 人生二度なし


「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。


自分は、この言葉にある「せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義」について深く感謝するということが、全然できていないのだろう。


人間を50年以上生きていると、「あの時の無駄だと思えた時間も必要だったんだな」と振り返ることが増えてくる。

また、どんな時間の使い方であろうと、過去に戻ることはできないし、未来に時間を貯金することもできないことを知っている。

そうすると、いつのまにか時間に対して無自覚になってしまう。



「人生二度なし」


この言葉は、単に有限な時間を無駄にしてはならないという戒めではないように思える。


「今」と「ここ」に自覚的であること、意識的であること。

それが大切なように思う。

さらにもうひとつ付け加えるのなら、常にある必要はないと思うが、時間の流れを忘れる没頭できる瞬間を持つこと

それが時間という概念を超え、自然に「人生二度なし」を実践している生き方になるのかもしれない。

これは、毎朝の「The Power of NOW」の音読会での学びでもある。


この時間を超える瞬間を持つということは、結局のところ「立志」に立ち戻るように思う。

最新記事

すべて表示
諦める人生

修身を学ぶ会富山 第12講 「感想」を読んで 「自分の人生を真実に生きる」と本気で考える人は、一体どれくらいいるのだろうか。 これまでの人生を振り返ると、ぼくは何度も自分の人生をあきらめてきたように思う。 中学時代、落合信彦氏の本に出会い、夢中になって読み漁った。 本の中には、自分の足で世界を歩き、自らの人生を切り拓いていく生き方が描かれていた。ぼくはその生き方に強く共感した。 しかし、自分の進路

 
 
 
人生の深さ

修身を学ぶ会富山 第14講 人生の深さ 人生を深く生きる人は、身近に誰がいるだろうか。 そう考えたとき、真っ先に妻と子どもたちの顔が浮かんだ。 妻も4人の子どもたちも、誰かと比較することはできない。 一人ひとりが見ている世界も、感じていることも、向き合っている方向も違う。 それでも、それぞれが人生を深く生きていると感じる。 「世の中に繊細であること」 これは一見すると、生きづらさの象徴であり、世の

 
 
 
服装

修身を学ぶ会富山 第10講 肉体の護持 最近、妻から服装について注意されることが増えた。 なにも、立派な服やおしゃれな服を着てほしいということではない。 50歳を超え、それなりの経験と学びを重ねてきた中で、内なる人間的成長と服装の「周波数」を合わせてほしい、ということだと理解している。 服装以外にも、「魂を傷つけてはいけない」と注意される。 何かを我慢すること、本当に望んでいるものを諦めること。

 
 
 

コメント


bottom of page