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ねばる力は一体どこからやってくるのか

第34講 ねばり


名刺を制作している時に、「あ、この方のねばる力が強いな」って感じる時がある。

むしろ、この相手の「ねばる力」をどこまで自分が受け止められるかという真剣勝負の場のようにも感じる時がある。

最後の瞬間まで、気が抜けない。


このねばる力の逆にあるのが、言語化をあせること。


言語化が早いということがよくないことではない。

一見早いように思えて、実は、そこに至るまですごく深い思考の積み重ねの結果ということもある。

しかし、思考の積み重ねの結果、早い決断ができてるのか、そうではないのか。

これは、打ち合わせをすれば、結構容易に判断できるものだ。



人間の進化の過程で身につけたであろう、すばやくモヤモヤした気持ちから抜け出し、結論を出してしまいたいという原始的な欲求が顔を出す。

それは、脳のエネルギー消費を軽減させたいということだったり、結論が正しいか正しくないかではなく、早く決断して行動した人のほう、自然界では生存確率が高かったからだろう。


現代に生きる僕らにとっては、数億年前と違い、生存リスクが大きな問題ではないはずだ。

そう考えると、生物としての欲求を受け入れることも時には必要だが、「ねばる力」を発揮する場面では、存分に発揮したほうがいいのだろう。



ただ、ねばる力は一体どこからやってくるのかを考える時、「人生二度なし」「time is money」といった人生と時間の関係のことを理解した上でも、それでもなお、どうしても超えたい壁に向き合えていること。

そういった存在に出逢えているか、ここが問われているようにも思う。

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