top of page
執筆者の写真yamashina shigeru

ねばる力は一体どこからやってくるのか

第34講 ねばり


名刺を制作している時に、「あ、この方のねばる力が強いな」って感じる時がある。

むしろ、この相手の「ねばる力」をどこまで自分が受け止められるかという真剣勝負の場のようにも感じる時がある。

最後の瞬間まで、気が抜けない。


このねばる力の逆にあるのが、言語化をあせること。


言語化が早いということがよくないことではない。

一見早いように思えて、実は、そこに至るまですごく深い思考の積み重ねの結果ということもある。

しかし、思考の積み重ねの結果、早い決断ができてるのか、そうではないのか。

これは、打ち合わせをすれば、結構容易に判断できるものだ。



人間の進化の過程で身につけたであろう、すばやくモヤモヤした気持ちから抜け出し、結論を出してしまいたいという原始的な欲求が顔を出す。

それは、脳のエネルギー消費を軽減させたいということだったり、結論が正しいか正しくないかではなく、早く決断して行動した人のほう、自然界では生存確率が高かったからだろう。


現代に生きる僕らにとっては、数億年前と違い、生存リスクが大きな問題ではないはずだ。

そう考えると、生物としての欲求を受け入れることも時には必要だが、「ねばる力」を発揮する場面では、存分に発揮したほうがいいのだろう。



ただ、ねばる力は一体どこからやってくるのかを考える時、「人生二度なし」「time is money」といった人生と時間の関係のことを理解した上でも、それでもなお、どうしても超えたい壁に向き合えていること。

そういった存在に出逢えているか、ここが問われているようにも思う。

閲覧数:19回0件のコメント

最新記事

すべて表示

時間を超える

修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...

純真さ

修身を学ぶ会富山 第2講 立志 真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、障がいの根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。...

人の望み

修身を学ぶ会富山 第38講 置き土産 自分とは一体何者なのか。 それを問いつづけることが人生なのかもしれない。 自分は誰なのか。 肉体が自分なのか。 思考が自分なのか。 感情が自分なのか。 考えて、言葉にして、話しているのは、「ほんとうの自分」なのか。...

Comments


bottom of page