根源の力
- yamashina shigeru
- 2 日前
- 読了時間: 3分
IT農業を通じて笑顔の人の和を創り社会に貢献する(2)
IT農業を通じて笑顔の人の和を創り社会に貢献する。
富山県滑川市にある株式会社笑農和の下村豪徳さんとの対談。
100年後も美味しいお米を食べられる未来へ
孫世代に産業として確立された農業を残す
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前回からのつづき。
(下村)
山科さんとお話していた10数年前には、この製品「paditch」のアイデアはなかった。
しかし、農業は変わっていかなくちゃならない。
そのためにはどうしたらいいのかを考え続けていた。
当初は、お米の販売をお手伝いしたり、ITでもテクノロジーでもなく、農家さんが困っていることを助けようと動いていた。
現在の製品「paditch」(田んぼの水管理の遠隔操作)については、国も寄り添ってきていて、スマート農業という言葉も生まれた。
ただ、まだまだ当たり前にならない。
あたり前になるのはいつになるのか。
自分が生きている間にできるのかどうか。
世の中に受け入れられるまでの時間の問題と、周りの声に振り回されそうになる自分への葛藤もある。
多くの起業家は、10年の軸で事業をすることは厳しい。
他に寄り道したり、目先の優先順位に振り回されたりと。
そうなると、アイデアだけではなく、「経営」ができるかどうかも大事になる。
ただ、愚直に少しずつ少しずつ進めている。
(山科)
愚直にやりきってきた力について。
これは、言葉にすると大したことのないように感じてしまうが、それこそなかなかできないことのはず。
人には理解されずらい、自分の中にある信念または覚悟のようなものがあるのではないか。
それを理解し言語化して、前に進んでいる人もいるだろうし、理解はできないが、その湧き出る力を信じて前に進む人もいるだろう。
下村さんを支えている力とは何ですか。
(下村)
祖父の存在です。
この製品ができあがるまで、いろんな困難があった。
必要性を理解されない。
製造してくれる工場が見つからない。
そういう逆境の時に、祖父が脳梗塞で倒れた。
半身不随で自宅に戻ってきた。
ただ、幼少期の経験があり、祖父と距離をとっていた時期があり、会いに行くことはなかったのだが…。
祖父に会いに行ったとき、身体が半分しか動かないにも関わらず、田んぼに立っていた。
左手一本で草刈り鎌をもち、畔の草を刈っていた。
当時88歳。
「おれは100歳まで元気でやるぞ」
と会話をした翌週に亡くなった。
畔の草を刈ることで、お米の収量がすごく増えるわけでもない。
にも拘わらず、半身不随で、亡くなる1週間前に、草刈り鎌で田んぼ作業をやっていた。
その姿を思い返すと、祖父との嫌な経験ではなく、よかった経験が思い起こされた。
今年はあそこがダメだった。
ああすればよかった。
もっとよくする。
来年はもっとよくする。
もっといいお米をつくる。
もっといいお米をつくる。
と、田んぼをやり続けた祖父との経験が蘇ってきた。
自分は、農業を変える、弟のために、といいながら創業して、一向に前に進まない。
死ぬ直前まで田んぼにたっていた姿を思い返した時、
「そんなことであきらめるな。やり続けるんだ。」
と祖父に言ってもらえた気がした。
だったら世に普及するところまでやるよ、とドスンと腹落ちした。
農家の長男で生まれ、ITの世界での学び、弟が継いでくれたこと。
それが一本の道に繋がった。
開発した製品を、自分自身が世に出して普及させるために生まれてきたように思えた。
これが根源の力。
つづく。
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