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生き続けるための癒しと希望の物語

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 23 時間前
  • 読了時間: 4分

夜をめくる星

生き続けるための癒しと希望の物語

青海エイミー 著

読了




小さなぼくには、この本の感想を言葉にする力が足りない。

エックハルト・トールの「A NEW EARTH」の音読会をおよそ2巡参加した。

その経験がなければ、感じることができなかった「何か」はある。

それでも、自分だけのオリジナルな言葉にできないのが現実だ。



2日前に妻と子供たちが一緒に大阪万博へ行った。

妻は、万博に全く関心がなかった。

妻は繊細で、人込みに身を投じることが大きなストレスになる。

また、必要以上の刺激、自分の関心の外の情報を体内に入れることをあまり好まない。

ぼくは妻の特性を完全に理解することは難しいが、ようやく妻が見ている世界をほんの少し垣間見れるようになってきた。

ほんの少しだ。


妻は、気は乗らなくとも、子どもたちの誘いにのり、またそういった冒険もありだと、半ば腹をくくって行くことになったようだ。


ぼくはその日は富山におり、実家で夜ご飯を食べていた。

母に、妻と子どもたちが万博に行っていることを伝える。

すると母は、「それは素晴らしいことだね。楽しいことだね、最高だね」と。


ぼくはその母の言葉に反応する。

(いや、違うのだ。きっと母の反応は正解なのは分かる。しかし、妻は楽しいから、ワクワクしているから、万博に行ったわけではない。9割方の人が思う「楽しい」という感情と、反対側の人もいるんだ。)


イライラする。


しかし、このイライラを80歳を超えた母にぶつけること、理解してもらうことを諦める。

ぼくにはこの壁を超える力がまだ足りない。

沈黙を選択する。


この自分の反応を1日考えてみた。

もし、母以外の他人が、同じような言葉を発したとて、イライラしないだろう。

母だからイライラしたのだ。

この感情の発起は、価値あることなのではないか。

イライラが感謝に近い感覚に変換される。


おもしろいことに、妻に万博の感想を聞くと、とても楽しかったようだ。

もう一度行きたい!と。

妻の冒険は大成功だったみたいだ。


そうなると、母の言葉は正解に変わる。

ぼくのイライラは、ひとまず自分なりに消化はしたものの…、それでも、なんか宙ぶらりんにさせられた気分になった。


近いから遠い、遠いから近い


ぼくの慮れる力は、これくらいが限界だ。



仕方がないので、「A NEW EARTH」のはじまりの文章と、おわりの文章を紹介したい。



花、開く(p11~)

一億一千四百万年前のある朝、夜が明けて間もないころ、昇る朝日を受けて一輪の花がぽっかりと開く。地球という星の最初の花だ。すでに何百万年か前から地球には植物が茂っていたが、この最初の開花は植物という生命体の画期的な進化と変容を告げる出来事だった。しかし最初の花はたぶん長くはもたず、その後も依然として開花はめったにない特殊な現象に留まっていたことだろう。花々が広く咲き誇るための条件はまだ整ってはいなかったはずだから。

花に美を見出すことを通じて、人類はほんのつかの間であれ、自分の最も内なる存在の核心にある美や本質に目覚めるのではないか。 美というものの最初の認識は、人類の意識の進化にとって最も重要な出来事の一つだった。その認識と本来的に結びついているのが喜びと愛という感情である。


新しい地はユートピアではない(p329~)

柔和な人、慎ましい人とは誰なのか、そして彼らが地を受け継ぐとはどういう意味か。 自分の本質が意識であることに気づき、その本質をすべての「他者」、生きとし生けるもののなかに認める人だ。彼らは慎ましく大いなるものに身を委ね、それゆえに全体及びすべての源との一体感を覚えている。


この世界で最初に咲いた花の心。

花を美しいと感じる人の心。

その心を受け継ぐもの。

受け継ぐものこそ、生きづらさを感じる世界だとしたら。

それはまだまだ人類全体としてテーマがあるのかもしれない。


生き続けるための癒しと希望の物語でした。

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