貧乏人は誰か
- yamashina shigeru
- 6月4日
- 読了時間: 4分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
2番目の嘘
お金はパワーだ
最初に大切な問いかけがある。
あなたが最も深い創造性や活力、インスピレーションを感じていたのは、そこにお金がたくさんあったからですか?そして逆に力を感じられなかったのは、お金が少なかったからですか?
子どもたちの遊ぶ姿を見ていると、お金とは関係なく、いろんなものを創造していく。
これまでの自分はどうだったのか。
たとえばこれまで生み出した活動を紹介すると
・ありがとう集め(イベント等でみんなのありがとうを画用紙に書いてもらう)
・おやべローカルかわら版(リレー方式で地元の人を取材する)
・リタスタジオ イーラボ(コワーキングスペースの運営)
どれも、創造的な活動だと自負していたのだが、丁寧に振り返っていくと、そこにはやっぱり「お金」が関係している。
ぼくの場合、お金があることで新しいことをチャレンジしたというよりも、お金を使わなくてもできることはないか。
そんな発想を土台に考えていた。
駄菓子屋も同じだ。
お金がないからこそできること。
そこに光を見出していた。
「お金ではなく、物語を大切にしたサービスです」と抽象的にかっこよく説明できるのだが…、結局「お金にパワーがある」ということを逆手にとってアイデアを生み出すことが得意だったのだ。
これはつまり、「お金にパワーがある」ということを心の奥では信じているということだ。
もっと深い創造性は、なんだっただろうか。
そう問われると、やはり、「ど真ん中名刺」になる。
ど真ん中名刺をつくるときにお伝えしているテーマは、子供時代から心にあるテーマであり、そのテーマと、今承っている仕事と一致するところを発見し、名刺というカタチで表現している。
ど真ん中名刺の製作費は、「随意」である。
つまり、値段はお客様が決めることができる。
なぜ、そうしているかというと、そもそも「ど真ん中名刺」は、依頼されたから、お金をいただけるから作るということではなく、「ぼくが作りたいから作る」に近い。
もう一歩踏み込むと、「あなたの名刺をぼくが1万円お支払いするので、作らせてください」というくらいだ。 好きで情熱的にやりたいことをさせてもらって、お金までもらっていいの?って。
だからこそ、「随意」にしている。
お金があってもなくても、作りたいのに、金額的に作れないと判断されることが嫌だったのだ。
ただ。
ここまで言葉にしてハッとするのは、どちらにしても「お金」に振り回されていることに違いないということ。
お金を否定しようとすればするほど、お金に執着して考えている自分がいるということ。
僕の中に大きな課題が残っているのだなと思う。
ここは、まだ言語化しきれないし、これから先の「マネーバイアス」で紹介されるのではないか。
後半に、資産家の言葉が紹介されている。
「お金もちというのは往々にして、お金をたくさん持っている貧乏人に過ぎない。お金があれば何でも買えると信じている人は、明らかに一度もお金をもったことがないのだ」 (アリストテレス・オナシス)
この文章にある「貧乏人」とは誰なのか。
そこから、尚子さんが、チャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」の物語を紹介してくれた。
AIさんの力を借りて、内容をまとめると以下のとおりだ。
『クリスマス・キャロル』
主人公のスクルージは、ロンドンのけちで冷酷な大金持ち。
クリスマスにも不機嫌で、「貧しい者は救う必要などない」と考えている。
金は持っていても、心は閉ざされ、孤独で幸福からほど遠い。
クリスマス・イブの夜、スクルージは3人の霊に出会う。
幼少期の寂しさ、愛する人との別れ。
使用人一家の貧しさと温かさ、甥の招待を拒絶する自分の姿。
誰にも惜しまれずに死んでいく未来。
そんな、過去と現在と未来の姿を見せられる。
この物語は、スクルージという「お金をたくさん持っている貧乏人」が、 内なる豊かさ(思いやり、喜び、つながり)に目覚め、本当に豊かな人へと変わっていく物語だ。
真の豊かさとは、何を持っているかではなく、どう生きているか。
お金はあっても、愛も感謝も分かち合いもなければ、それは「貧しさ」だ。
スクルージのように、気づきによって人は変わることができる。
そして、本当の「力」は、お金ではなく、人とつながり、分かち合う心の中にある。
お金は、価値と価値を交換する中立的な道具でしかないはず。
お金にパワーがあるのではない。
わたしたちにパワーがある。
愛があることが豊かでもない。
愛を分かち合える相手があるから、豊かなのだ。
パワーがあることが大切なのでもない。
パワーを分かち合える相手がいるから、幸せなのだ。
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