慈悲
- yamashina shigeru
- 8月20日
- 読了時間: 6分
更新日:8月23日
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
7番目の嘘
お金があれば安心だ
今回の箇所の内容とブログの内容がずれるかもしれないが、本書にある言葉と最近興味を抱いた言葉が、なんとなくつながっているように感じた。
脱線する内容になるのだけど、書き残したい。
今回の箇所の中で一番気になった箇所はここ。
真実を「知ること」は、当然、「本当にそうか」という疑念や「そんなはずはない」という抵抗、または皮肉の感情とともにやってきます。それらの感情は皆さんにとっての深い自己探求と内省の機会となります。 この疑念、抵抗、皮肉は、経験を超えて、「知ること」を思い出し、「再びつながること」が起きた瞬間に消え去ります。
「お金があれば安心だ」ということが嘘だと言われても、現実には、お金があることで安心する場面はたくさんある。本当に嘘だろうかと疑念や抵抗は沸き起こる。
ではどうしたらいいのだろうか。
「知ること」を思い出し、「再びつながること」が起きた瞬間に消え去ります。
と書かれてある。
この文章のポイントは
・思い出す
・再び
なのではないか。
つまり、すでに心の深いところでは知っているはず。
分断されているように見えて、本来は繋がっていた。
このことを伝えてくれているように思う。
ここで脱線して、最近興味を抱いた言葉を紹介したい。
①
仕事の本質は「慈悲」である。
慈悲を与える行為が仕事なのだ。
では、慈悲とは何か。
「慈」と「悲」から成る。
慈=0を1にする活動
非=マイナスを0に戻す活動
このどちらかに当てはまることが仕事であり、それ以外は仕事ではない。
②
会社の目的は、「真理を探究すること」になる。
もしそれ以外の目標を立てると、必ずどこかで矛盾が発生し、エゴが発動する。
②の内容と、マネーバイアスの今回の箇所を半ば強引に結びつけるなら、
「生まれながらに自分の内側にある真理を思い出すこと、探究すること、それを通じて、他者とのつながりを取り戻すこと。これが個人にとっても会社にとっても、究極の目的である。お金を循環させる活動は、そのための手段のひとつでしかない。それ以外の動機でお金を稼ぐ、回すことに専念しようとすると、矛盾が生まれる」
「お金があれば安心だということが嘘だと言われて、疑念を感じるのは、この究極に近い目的以外の小さき目的を達成しようとしたときに生まれるのかもしれない」
①については、なぜそうなのかを説明はできないけど、正しそうだと感じる。
仕事とは慈悲を与えること、つまり、0を1にするか、マイナスを0にすること。
ここで疑問が生まれる。
世の中には、「仕事(慈悲)」以外の仕事のほうが多いはずだ。
それは、何と呼ぶべきか?
ここでAIにお手伝いしてもらった。
ChatGPT:
慈(0を1にする)何もなかったところに、新しい価値・希望・可能性を生み出すこと。たとえば教育、研究、芸術、創業、子育てなどはまさに「0→1」の行為。
悲(−を0にする)苦しみや不具合、マイナスの状態を和らげ、回復させること。医療、介護、カウンセリング、災害復旧、トラブル対応などは「−→0」の行為。
では、「仕事=慈悲」以外の活動をどう呼ぶか。
仕事(work)=慈悲(0を1に/−を0に)
事業(enterprise)=それを拡張・加速・広げるもの(1を10に、10を100に)
務め(duty)=維持・管理するもの
作業(task)=ただの行為、価値を生まないもの
「仕事」以外の営みは、事業/務め/作業 といった枠で言い分けられる気がします。
山科:
「務め」を維持・管理するもの、と解釈するだけでなく、「承るもの」ととらえることも可能なのではないか。
ChatGPT:
「務め」を 維持管理するもの とだけ理解すると、どうしても「仕組みを守る」「現状維持」といったニュアンスで止まってしまいます。
でも「承るもの」と捉えると、そこに一気に人間的な深みが出てきます。
「務め=承るもの」
個人の意志を超えて与えられるもの → 役職、親子関係、地域での役割、世代間の継承など。
受け身に見えて、実は深い主体性が試されるもの → 拒否することもできるが、「承る」ことで自分の道になる。
維持・管理を超えて、命や縁を引き受ける行為 → たとえば「介護」「教師」「伝統を守る」などは、単なる維持ではなく「引き受ける」ことそのものに価値がある。
「承る」は 縁起を受け取る態度 に近いかもしれません。
まとめると「承る務め」は、
自分の意志を超えた縁や流れを引き受けること
それによってはじめて社会や家族が持続すること
苦しみも伴うが、そこにしか芽生えない意味があること
整理し直すと
仕事(慈悲)=0を1に/−を0に
事業=拡張・加速
務め=承ることによって生まれる責任と役割
作業=単なる労役・ノイズ
山科さんにとって「承る務め」と「自分が選んでやる仕事」は、どちらがより自分のど真ん中に近いと感じますか?
山科:
どちらがではなく、はじまりが「承る務め」なんだと理解しています。
ど真ん中は、その先にあるもの。
つまり、「承る務め」に向き合うことで、世界が広がり、「仕事(慈悲)」が理解できる。
そして、「仕事(慈悲)」を動かしていくことで、ど真ん中がカタチになっていく。
ChatGPT:
素晴らしい整理ですね。
はじまりは「承る務め」
自分で選んだわけではないもの
血縁や地域や歴史から託されるもの
「受け取るしかないもの」と向き合う場
そこから「仕事=慈悲」が見えてくる
承ったものの中で、0を1にする/−を0にする働きが立ち上がる
「やらされている務め」が、「創造や救済の場」に変わる
その営みを続けることで「ど真ん中」が形になる
自分の意志や喜び(ワクワク)と、社会から求められることと、やらなければならないことが重なる
その重なりが「自分が生きる意味」として実感されていく
「承る務め → 仕事(慈悲) → ど真ん中」という流れが、階段のように見えてきますね。
務めははじまり(受け取ること)
仕事は動き(創造・救済)
ど真ん中は結晶(重なりの実現)
山科:
こう考えていくと、 「務め」と「仕事」は、いつの世にも人間側にある働きのように思います。
それ以外のことは、人工的に生み出したことか、絶対必要じゃないこと、社会が発展していく上では必要なこと。 それは、敢えて人間が主導でする必要もないことなのではないか。
ChatGPT:
はい、その見立てはとても本質的だと思います。
人間に本源的に備わる働き
務め:承るもの。生まれや環境、縁によって与えられ、それを引き受ける。
仕事:慈悲の実践。0を1にする創造、−を0にする救済。
これはいつの時代も、人間そのものの営みとして存在し続ける。
人工的に生み出した営み
拡張(1を10に、10を100に):効率化・拡大・資本主義的成長。
維持(仕組みやシステムの維持管理):組織化・制度化による安定装置。
それ以外(虚業・搾取・単なる作業):社会的に「必要とされている」ように見えるが、本質的にはなくても人は生きていけるもの。
これらは「社会を発展させる上で必要」とされるが、実は 人間がわざわざ主体的に背負わなくてもよい領域 なのかもしれません。(AIや仕組みに任せられる部分でもある)
つまり、務めと仕事は「人間の営み」、それ以外は「社会の装置」 と分けられる。
この見方に立つと、
人は「務め」と「仕事」に専念することで、本来の喜びに近づく
「社会の装置」に過剰に巻き込まれるほど、ど真ん中から遠ざかるという構造が見えてきますね。
AIの理解力と言語能力がすごい!
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