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無条件の存在

マネーバイアス

ピーター・カーニック 著


6番目の嘘

私が存在しているのはお金のおかげだ


タイトルだけを読むと、当たり前なんじゃないかと思える。

むしろ、「私が存在しているのはお金のおかげだ」と思っている人は、ほとんどいないんじゃないか。

お金がなくたって、自分は生きているのは当然だと。


しかし、本当にそうだろうか。



ひとつ思い出すことがある。

ずっと疑問を思っていたことだ。

それは、少子化問題を取り上げるニュースで、対応策として、子育て世代への金銭的支援を話題にするときだ。

テレビのアナウンサーは「子どもを産むのを躊躇する大きな問題は、出産費用と子育て費用だ。その負担を軽減することで、子どもを産み育てたいという人を増やすことができる」と解説してくれる。


毎回このようなニュースを聞くたびに、モヤモヤする。

確かに子育て中の金銭的支援はめちゃくちゃありがたいし、もし子ども手当がなかったら、生活がままならないことも知っている。


しかし、それとこれは全く別問題のように思えるのだ。

つまり、お金に余裕があれば、子どもを産むんだっけ?という疑問だ。


ついでに言うと、もう一歩手前の結婚もそうで、「就職して、ある程度お金がたまったら結婚する」という考え。

これも、同様にモヤモヤする。


お金があるから、結婚を決める。

お金があるから、子どもを産む。

 

ぼくは現実本当に厳しい状況に置かれたことがないので、気軽に発言できないことは理解できるが、それでも何か違うように思う。


お金と命と存在が、同一直線上で語られている。



老後のお金問題もきっと同じなのだろう。

「お金があれば、老後は安心だ。」

半分は事実なのだろうが、お金と存在を繋げて語られているように思う。



私が存在しているのはお金のおかげだ。


この言葉は、まるっきり嘘だと思っているにも関わらず、そうではない挙動に振り回され続けているように感じる。



結婚、出産、老後をお金と結び付け、存在するためにお金が必要だと考える

この思考の流れに対し、意識的に否定する立場なのだが、だからといって、あらゆる場面で同様の態度ができるだろうか。


できない。


たとえば、自分が会社の社長で、経営がうまくいかず倒産の危機になったとする。

そんな場面だと、お金と自分の存在を天秤にかけるに違いない。

お金がなければ、自分なんて存在する価値がないんじゃないかと。

世の中では多くの方がそれを悩み、自ら命を絶つ選択をする人がいる。


この6番目の嘘は、頭で考えれば、当たり前すぎるように思えるのだが、現実社会と大きな乖離があるように思う。



本文中にこんな言葉があった。


存在は、生まれた瞬間からあなたに備わっていて、人生に必要なすべてのニーズを満たしてくれます。

この言葉の意味をAIにサポートしてもらった。


存在(Being):あなたという“命”の根源的な在り方。思考や能力、役割の前にある、“ただ在る”という状態。


生まれた瞬間から備わっている:存在は、努力や条件によって獲得するものではなく、すでに与えられているという意味。


すべてのニーズを満たしてくれる:外側から得ようとしなくても、内側に「満たす力」「必要な知恵・感性・導き」がすでにあるという信頼。



「生きるためにはお金が必要」「自分は稼げなければ価値がない」といった“幻想”を暴くことが今回のテーマである。


お金があるから生きられるのではなく、存在しているからこそ、生きるための道は自然と開かれていく。

という逆転の視点を提示してくれているのです。


つまり、 「自分の存在こそが、必要なつながり・もの・導きを引き寄せていく」という、人間存在への信頼です。



たとえば、あなたはすでに可能性のすべてが詰まった「種」

土に埋もれていても、雨や太陽や時間が来れば、自然に芽が出て、必要な栄養は“出会って”いく。

すでに「内にある」から、それを満たす環境と出会うだけでよい。

外から水を買わなくても、雨は降ってくる。



たとえば、あなたの存在は、深い地中から湧き出る「泉」

表面が乾いていても、奥には尽きない水脈がある。

泉は、「存在する」だけでまわりに潤いを与えます。



たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんは、何も生産せず、稼がない。

その存在だけで、周囲の人を動かし、つながりが生まれ、すべてが与えられる。

存在には「経済的価値」以上の力がある。




ふと、「シュレディンガーの猫」を思い出す。

量子力学の有名な思考実験?だ。

箱の中にいる猫は生きているか死んでいるか。

確率は50%。

量子力学的には、猫は生きているし、死んでいる状態。

観測者が対象物を観測して初めて存在が確定するということ。


私たちは、人生という“箱”の中に入れられたシュレディンガーの猫のようです。

誰かに“評価”されない限り、自分の価値を感じられない。

収入や成果といった“観測者”によって、やっと「自分は生きている」と信じられる。

「自分らしい」という言葉の「らしい」には、この観測者の存在が含まれている。


けれど、本来の私たちは、箱の中でも確かに存在している。

生きている、愛している、感じている。

その“ただ在る”力にこそ、本当の価値がある。


これは日本のアニメの世界観にもつながる話のように思えた。




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