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コイントス

「支援をしない」と言いながら

「支援」を考えてみる


コミュニティハウスひとのま

宮田 隼 著

読了



やなせたかしさんの名言

絶望の隣には希望がそっと座っている



人はどんなときに絶望するのだろうか。



やなせさんの言葉からは、いろんな解釈ができます。


闇が深いほど、光が見えやすくなる。

一寸先は闇、ではなく、一寸先は光なのだと。



こんなイメージはどうだろうか。


絶望と希望は、コインの表裏の関係である。

コインからすると、絶望も希望もどちらも自分であり、ひとつでしかない。

どの方向から見るかにすぎない。


コインを空中に投げ、落ちたときに表がでるか、裏がでるか。

それは、誰にも予測できない。

表がでようが裏がでようが、ひとつのコインを投げているだけ。




なんだけど。

絶望と希望なんてコインの表裏だと思えるのは、自分が見ている世界の中で起きている場合だけなのではないか。


自己に目覚める前のコイントスだったり

自分が理解できる世界の外で行われたコイントスが、自分に影響していることだったり。


意図しないところで行われたコイントスに対して、

「それは自分が意図しない世界のことである以上、そのコインがどこに落ちているかもわからないし、それをもう一度拾い直して、コイントスし直そうという発想など、思いもつかない。」

「ましてや、ぼくがもう一度コイントスができる権利を有しているのかどうかすらわからない。きっと誰かに怒られるんじゃない。神に背く行為だったりするんじゃない。」

「というか、このコイントスは人生の中で1回きりしかできないルールなんじゃないかな、、、知らんけど。だから従うしかないよね。」


と、自分のコントロールできる世界の外で行われたコイントスに対して、うまいこと理由を考えて、これ以上考えることを辞める。

または、考えているふりをするために「絶望」してみる。


絶望。

自分のコントロールの外の世界のコイントスの結果で、それは変えられないことだと信じ切っていたにも関わらず、全く違う結果があることを見せつけられた時。

絶望にもなるし、希望にもなる。



「不意に自分を襲ってくる絶望」を生み出しているコインを見つける冒険に出かけ、コインを拾うことができるだろうか。

拾って、リスクを背負い、コイントスし直す勇気はあるだろうか。

結果、もう一度絶望がでるかもしれない。

それを受け入れられるだろうか。



著者の名刺をつくりました。


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