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関係性に真理をみる

人文知は武器になる

山口周さんと深井龍之介さんの対談本。


気になったキーワードを、いくつか残しておきたい。




フロンティアがなくなるたびに、人類は「より複雑で高度な倫理」へと、社会の常識を書き換えざるを得なかった。


歴史を深く学んできたわけではないので、「本当にそうだ」と軽々しく言えるわけではない。

けれど、実感として「確かにそうなのかもしれない」と思う場面はいくつもある。

ふと思い当たるのは、本業で関わっている印刷業界やデザイン業界、そして養蜂の世界だ。


印刷やデザインの領域は、ある意味で、誰もが家庭でプロに近いことができる時代になった。

特に印刷業界は、全体として下り坂を進んでいる。

その中で、業界の上位層は、最新のIT技術を取り入れながら、新しい領域を切り拓こうとしている。

いわば、あえてフロンティアを生み出そうとしている。

ただ、その多くは、まったくの未開拓地というより、既存の技術と新しい技術を組み合わせて「新しさ」を表現しているようにも感じる。


印刷業界とデザイン業界に共通する問題のひとつが、版権や著作権の扱いだ。

もちろん、それらを守ることはとても重要なことだと思う。

一方で、そこに過度に固執することで、本来社会に広まるべき価値が届かなくなる場面もある。


また、格安のネット印刷と町の印刷屋の関係性も、難しい問題を孕んでいる。

自分たちの印刷機を使うよりも、ネット印刷のほうが安くなるケースは少なくない。

そうなると、印刷会社なのに、ライバルのネット印刷を利用したほうが、自分たちもお客様にとっても利益を生むことになる。

これはもうビジネスモデルの崩壊に近い。

そのとき、お客様にどう説明するのか。

何を価値として届けるのか。


価格や権利といった枠組みだけでは捉えきれない、もう一段階上の倫理が求められているように感じる。



同じようなテーマは、養蜂の世界にもある。

養蜂では、ミツバチ同士の病気の拡散や蜜源の奪い合いを防ぐために、一定の距離を保つという暗黙のルールがある。

これはミツバチを管理する上では合理的だ。


しかし、自然界そのものを見れば、そのようなルールがあるわけではない。

新しく養蜂を始めようとする担い手を苦しめる可能性もある。

そうなると、業界全体が萎んでいく。

理にかなっているはずのルールが、現実との間で揺らぐ。


養蜂や自然栽培に関わる人たちと関係を築いていくうえでも、「対立を生まない新しい倫理」が必要なのではないかと感じている。


この2つの事例は、少し本書が伝えようとしていることとズレているように思うが、ふと頭に浮かんだので書いてみた。



本書の中で印象的だったのは、次のような視点だ。


歴史を学ぶことで、自分がなぜここにいて、なぜそれが可能になっているのかという因果関係を理解できる。その理解が、何かを決断するタイミングを与えてくれる。

同時に、「もうそれをやるしかない」と腹をくくって始める意志もまた重要である。


現状理解を、横軸(社会環境や競争)だけに頼るのではなく、縦軸(歴史)を通して捉えること。

そのうえで、理屈を超えた自分の内側の感情や意志にも耳を澄ませること。

この一見矛盾する異なる二つの軸を同時に使いながら判断していく感覚は、日本人の特性のひとつなのかもしれない。


ど真ん中エディットワークにも似たような問いを設定している。

自分を作り上げている「血」「育ち」「教え」を振り返る。

そこに自分の物語性を発見するのだ。

しかし、物語に左右されない「意志」、命の声に耳を澄ますことも同時に考える。



仏教でいう「中観」という在り方。

主観と客観のどちらかに偏るのではなく、世界と自分を関係性の中で捉えていく。

固定された「自分」と「世界」があるのではなく、揺れ動く関係性の中に現れてくるものを見ていく姿勢。


「共話」にも似ている概念だと思う。

対話ではなく共話。

お互いの言葉が、空気中の中に残る。

そのふわっと残っている言葉のカケラ、そこから連想することを大事にして、次の言葉を投げかける。

そんな話し方だ。


これは日本人なら普通に日常的に行っていることかもしれない。

でも、それができるのは、日本語の文法のおかげかもしれない。

主語や述語があいまいのまま会話が成立する。

言葉にならない意図を捉える。

それが当たり前として会話ができる日本だからこそのクリエイティブな会話の仕方だ。

これは、お互いを信頼し、お互いの間にあるものに価値をみつけようとする姿勢なのだと思う。



そうした在り方で、ビジネスを営み、家庭を築いていくこと。

そこに、日本の強みがあるように思う。


そのバランス感覚は、頭だけではなく、身体的な知性として鍛えられていくものだ。

なので、日本以外で生まれた人が、なかなかこの身体的知性を身につけることは大変なのではないか。

不思議なのは、これほど近代化をすすめてきた国なのにも関わらず、この感覚を維持し同居させながら生活できていることだ。


そうした感覚が長い年月の中で育まれてきた場のひとつが、地方の老舗企業なのだろう。


まとめると。

道徳や倫理は固定されたものではない。

フロンティアが消えていくことや、技術革新によって働き方が変わることによって、より高度な倫理が求められていく。

つまり、争いではなく、調和を求めるからこそ、高度が倫理が立ち上がる。

これまでの倫理からすると間違っているように思えることでも、すぐに否定するのではなく、これからどのような倫理が立ち上がってくるのかに、耳を澄ませていく必要がある。


そのうえで、日本人として持っている「中観」の感覚を自覚し、身体的知性を磨いていく。

では、どこから学ぶのか。

それは海外でも都会でもなく、地方の老舗企業の中に息づいているものかもしれない。


この国に生まれ、このような感覚を受け継いでいるのだとしたら。

それをさらに育て、次の世代へと手渡していく。

それが、大人の役割なのかもしれない。

そのためにも、「人文知」に投資していくこと。



そう考えていくと、ここでは語らないが「郷学」「名もなき人の伝記を残す」ことも大事なことかもしれない。



※20代で志を立てるために必要な読書は「歴史上活躍した人物の伝記」を読むこと。

※40代になって読むべく読書は、本気で働いていこうとしたときに必要なのは「身近な人物の伝記」。

※ただ、身近な郷土の人物の伝記は、多く残っていない現実

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