プペル
- yamashina shigeru
- 2 時間前
- 読了時間: 6分
映画『えんとつ町のプペル 約束の時計台』
本『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である』
この2つを重ねながら、プペルについて勝手気ままに語ってみたい。
我が家は、前作のプペルがとてもよかったので、妻と次女と末っ子が先に鑑賞した。
末っ子は、いろんな場面で泣いていたらしい。
問題は妻である。
妻はとても繊細で、たとえばポケモンやドラえもんですら大泣きするタイプだ。
その妻が、末っ子が大泣きしたにも関わらず、まったく涙が出なかったという。
そのこと自体が不思議だったらしく、
「なぜ感動できないのか」「なぜ涙が出ないのか」
そこに強い違和感を覚えたようだった。
そして、ぼくと長男にもぜひ観てほしいと言われ、妻は2度目、ぼくと長男は初めてという形で一緒に観に行った。
結論から言うと、妻はやはり感動できなかった。
そして、その理由がわからないまま、ずっとモヤモヤが残ったままだった。
一方ぼくは、涙こそ流さなかったが、素直に「いい映画だな」と感じ、満足していた。
妻の感想をまとめるとこうだ。
・登場人物に感情移入できなかった
・複数の物語が中途半端に感じ、理解しきれなかった
・過去のディズニー作品を思わせる場面が多く、気になって集中できなかった
そして、もうひとつ大きなポイントとして、
・西野さんの「ヒットさせなければならない」という欲が強く伝わってきた
・同時に、とても素直で誠実な人だということも感じた
つまり、
あまりにも西野さんが、「いい人」で「素直」であるがゆえに、多くの人に届けなければという想い(=欲)が前面に出てしまい、その結果、物語やキャラクターに感情を乗せきれなかった。
そういうことだった。
なるほど、妻はかなり深い層をキャッチしていたのだと思う。
では長男はどうだったか。
長男はアニメが大好きで、イラストも描くし、作品の裏にある意図や構造を読むのが得意だ。
長男の視点はこうだった。
前作は「諦めない」というテーマとともに、プペルを亡き父親の象徴として描き、父の想いを受け継ぐ物語だった。
今作は、その父との関係を消化し、次のステージとして、真の友人としてプペルとつながり直す物語になるのではないか、と予測していた。
もしそうなら、とても深く難しいテーマであり、大きな感動があるはずだ、と。
しかし実際は、テーマは前作と同じく「諦めない」だった。
だからこそ、「予想を超える体験」にはならなかった。
ただ、それを否定するわけではなく、むしろこのテーマを貫き続けてほしいと感じたという。
3作目、4作目と続けていく中で、一貫して「諦めない」を描き続けるならば、はじめて社会に対して強い価値を持つのではないか。
そんな感想だった。
この長男の視点も、ぼくにはまったくなかったものだった。
では、ぼくは何を感じたのか。
それは、
・複利の力
・潜在意識
この2つだった。
バートレット教授の複利のインパクトを示す説明 ウイルスが1分間で倍に増殖する。ボトルがウイルスでいっぱいになるのはちょうど1時間だとする。 11時00分にウイルスが一つだとする。11時59分ではウイルスはボトルの半分。11時58分ではボトルの25%、57分では約12%、56分だと約6%、55分だと僅か3%しか占めてない。 あと5分でボトルが崩壊するかもしれない危機的なタイミングであっても、ボトルの97%は空なのだ。(本「人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である」125P)
映画を観た人ならわかると思うが、「最後の1分」の重さが、まさにそれだった。
複利の世界では、最後の1分は、それまでのすべてと同じ価値を持つ。
99%と100%の差は、僅か1%のように思えて、まったく別世界だ。
この映画は、その「最後の1分」の価値を描いているように思えた。
そしてもうひとつ、おもしろいのは、
「なぜ時計が止まったのか」
である。
普通なら、誰かが意図的に止めるはずだ。
しかしそうではない。
時計は、自ら止まった。
これは象徴的だと思う。
顕在意識ではなく、潜在意識が動いている世界。
ぼくらの心臓が、自分の意思とは関係なく動いているように、無意識は常に先に動いている。
そうだとしても。
「YES」と言えるか。
「大丈夫だ」と信じ続けられるか。
それを問われているように感じた。
あの異世界は本当の異世界ではなく、ほんの数秒のあいだに主人公の頭の中で展開された、いわば“走馬灯”のような創造の世界だったのかもしれない。
そう考えると、物語の断片性や誰もが子どものころに一度は読んだり見たりした物語が登場する、「子どもの中にある素材でつくられた世界」として、すべて辻褄が合う。
人は、自分では100%信じていると思っていても、無意識の深いところでは、まだ揺らいでいる。
その無意識までも含めて「信じる」ことができたとき、はじめて「奇跡」と呼ばれることが起きるのかもしれない。
この映画は、
思考だけでは足りない。
本気で何かを起こすには、無意識すらも変わる必要がある。
そんなことを伝えているように感じた。
主人公が深い森に飛び込むシーン。
あれはまさに、自分の無意識の層へと入っていくことなのだと思う。
そこで本当の自分と出会い、対話し、変化が起きる。
それが、最後の1分、最後の1%なのだ。
それは定量的な「1」では決してない。
これまでの「99」を努力した人ほど、最後の「1」は無限の「1」なのだ。
複利なのだ。
だからこそ、多くの成功者が
「偶然に」
「ご縁で」
「思いもよらず」
という言葉を使うのだろう。
それは、自分の力を超えた領域が動いた感覚を、そう表現しているのかもしれない。
とはいえ、他者に依存するわけではない。
コントロールできない領域があることを知りながらも、なおかつ、それでも信じるという態度と覚悟を持ち続ける。
そこが問われているのだと思う。
きっと、そういう経験がある人ほど、この映画に強く心を動かされるのではないだろうか。
時計を止めたのは誰か。
時計を動かしたのは誰か。
そして、
物語としては「ありきたり」と言われるかもしれないハッピーエンド。
それでも、
子どもにも、大人にも、本当に必要なのは、
このハッピーエンドを「信じ切る力」なのだと思う。
この物語は、まだ途中なのだろう。
長男が言うように、何作も重ねながら同じテーマを描き続けることで、はじめて世の中に、新しい空気が生み出すのかもしれない。
そしてもうひとつ、強く感じたことがある。
この深い無意識の世界は、きっと個人の内側に閉じているものではなく、どこかですべての人の心とつながっているのではないか。
そう考えたとき、人が「いらない」と捨てたゴミだけでつくられたプペルに、もう一度命が宿るということの意味が、まったく違って見えてくる。
忘れられたもの、価値がないとされたものにさえ、もう一度いのちを吹き込む力が、ぼくらのどこか深いところで、確かに働いているということ。
次作がどうなるのか。
これからがすごく楽しみだ。
最後の本の中にあったガンディーの言葉を紹介する。
世界は私たちの鏡である。 この世界に現れるすべての性質は、私たちの内側に存在している。 私たちが自ら変わることができれば、世界の性質も変わる。(本「人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である」184P)



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