情熱的であることの意味
- yamashina shigeru
- 2 日前
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A NEW EARTH
二巡目 第25週 振り返り
目覚めた行動の三つのモードとは、受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす、の三種である。
よく観察すると、受け入れるのでも、楽しむのでも、情熱を燃やすのでもない行動は、自分自身か他人を苦しめているはずだ。
すごく情熱的な一日のスケジュールがあった。
朝一に養蜂に向かい、二群とも元気な女王を目視することができた。
蜜も結構貯まっていて、4枠分を採蜜することができた。
そのまま、養蜂の師匠の自宅の一室をお借りし、養蜂仲間のラベルの打ち合わせ。
その時間もクリエイティブないい時間だった。
養蜂仲間から初絞りの蜂蜜もいただき、そのおいしさに感動した。
次は、富山市内に移動し、性の悩み相談を行う「紅蓮堂」のチラシデザインの打ち合わせ。
ここで、採蜜したての蜜枠をお見せして、命の尊さを感じながら打ち合わせをすることができた。
玉ねぎの皮を再利用したふりかけも頂いた。
それから、会社に戻り、外出中に依頼があった仕事をこなす。
どの仕事も、ど真ん中を生きる仲間からの依頼だ。
そんな情熱的な一日の中で、違和感を味わう。
妻から「富山の美味しいお米を買ってきてほしい」という依頼だ。
週末に大阪に車で移動するので、そのタイミングで買ってきてほしいと。
5㎏4000円以下の富山の美味しいお米を探す。
この相談に、なぜか心がモヤモヤする。
「わかったよ」と、ひと言でいいはずなのに、「あるかどうか分からないな」「何店舗か探さないといけないな」など、あれやこれやとネガティブな言葉が生まれる。
言葉を発しながら、その言葉を発している自分が不思議でならない。
この言葉はどこから生まれてきているのか、理解できないからだ。
自分の心の中に起きたモヤモヤはなんだったのだろうか。
ちょうどそのタイミングで、富山で尊敬するお米農家である土遊野のめぐみさんが、フェイスブックへ投稿があった。
その言葉がグッと心をとらえた。
抜粋して紹介する。
今引き継いでいる田んぼは全部、苦しい時代をなんとか辞めずに繋いできてくれた先代達がいるから。 心から尊敬しているから、どうかおじちゃん達の人生がまず報われて欲しい。 お米作りを、選んで、やってきてよかったと。 農家が豊かじゃない社会は、果たして豊かな社会に向かっていくのだろうか。
日々の生活が、有難く情熱的であることは、エゴが共存できないというだけではなく、普段感じにくい違和感、この世界に秘められた声に敏感になれることなのかもしれない。
自分の行動を楽しみ、それが目指す目標やビジョンとうまく組み合わされれば、情熱が生まれる。
情熱を燃やすことで、創造的なエネルギーが、外の世界で新たなカタチを生み出す。
ここからだ!
自然な拡大の軌道をたどって成長したあとは、外から見れば目立たない、受け身で比較的波乱のない人生を過ごす人もいる。 彼らは出かけていくよりも、帰っていくだろう。
現代文明にはこの人たちの場所がないように思われる。
彼らの使命は日々の暮らしを通じて、「ただ在ること」と他者との関わりを通じて、新しい意識を生み出すことだ。 彼らの行動はどんなシンプルなものでも意識がこもっており、したがって質が高い。 彼らの目的はすべてのことを聖なるやり方で行うことだ。
彼らの世界が評価されない、多くの人に理解されないことは、仕方ないことかもしれない。
ただ、否定される世界だけは、望まない。
自分の行動を楽しみ、それが目指す目標やビジョンとうまく組み合わされれば、情熱が生まれる。
では、「目指す目標やビジョン」が社会から否定されたとき、沸き起こるはずだった情熱はどうなるのだろうか。
ふと、めぐみさんが語る顔も知らない先代達のお米農家さんのことを思う。
では、自分はどうあるべきか。
そこは正直答えはでない。
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