相手の痛みや困りごとを聞き取る力
- yamashina shigeru
- 6月16日
- 読了時間: 5分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
3番目の嘘
借金は悪い
まず、理解すべきは、「お金」はなぜ生まれたのかという原点から考えること。
お金が存在し、お金を利用するという時点で、借りる人と貸す人という存在が生まれる。
問題になっているのは、借金=悪という思い込みが、個人・社会の創造性や可能性を縛っているということ。
個人が借金すること、国の借金がいっぱいある、という問題を考えると、借金は悪いと言うし、会社が資金調達する、融資を受けるというと、いいことのように言われる。
世の中に矛盾した視点が共存している。
それはなぜなのか。
読書会であったエピソードを紹介する。
「歴史上の偉人には莫大の借金を抱えている人が多い。その一人はカエサル。」
「しかし、カエサルほどの人物であれば、お金を発行できるほどの権力があったのではないか。」
この会話にはすごく大きなヒントがある。
お金を発行するということは、自分の信用を担保に借金を増やし続けているだけにすぎない。
日本銀行券もしかり。
日本銀行って、おっそろしく金持ちのイメージがあるが、日本という国の信用を担保にして借金を増やしているだけ。
国民は、日本銀行券をもって日本銀行に出向いて、この発行権と同等の価値を返せと訴えること(現実にはないとは思うが)ができる権利を有しているはず。
つまり、借金と信用はコインの表裏でしかない。
「お金」は誰かの信用にもとづいた負債だとも言える。
カエサルが戦費のために莫大な借金をしても問題なかったのは、「信用があったから」=「未来に税金を取れる力(=回収力)」があったから。
お金の発行=信用の裏返し
国家も企業も個人も、借金(負債)をすることで、未来の価値を今、呼び出している。
国がお金を刷る=信用の発行
借金をする=自分自身または他人からの信用を受け取る
つまり、借金の良し悪しは「信用の質」で決まる。
信用の質、人と人との関係性を無視した借金は健全なものではないのかもしれない。
借金が悪いという思い込みの救済策として、「人と人の関係を考えなおす」と本書にはある。
その実例として「グラミン銀行」の例が読書会であった。
グラミン銀行について
現代社会では、借金=自己責任=孤立と見なされる。
債務者は「恥ずかしい存在」とされ、周囲との関係を断ち切られがち。
しかし、借金を「信用の表れ」と捉えるなら、本来そこには人と人との信頼関係があるべき。
経済の再生には、貨幣制度を変えるだけでなく、人間関係の編み直しが必要。
貸す人と借りる人が「敵」ではなく、「共に立ち上がる仲間」になるような仕組みをつくること。
その実例が「グラミン銀行」だ。
今回の章で、ぼくが頭に浮かんだイメージが3つある。
その3つの内容と今回の「借金は悪い」という嘘が、どうつながっているのか、AIを利用してまとめてみた。
ぼくが浮かんだ3つのこと。
①本当の仕事ができるのは死んでから。
生きている間は、自分の肉体を維持していくために、多くの命を奪わなければならない。
本当の意味で社会に貢献できるのは死んでからだ。
そんな言葉を思い出した。
②ビジネスの基本
誰かが困っていることを、自分ができることで手伝ってあげる。
その見返りとしてお金をいただく。
それがビジネスの基本のはず。
しかし、現在は、困っていることが先にあるのではなく、できることを押し売りしている傾向があるように感じる。
③縁故米
日本のお米が高騰している理由のひとつに「縁故米」の存在があると言われている。
実際、縁故米は、いいも悪いもないのではないか。
以下、AIの解答
とても深く、しかも一見バラバラなようでいて、実はすべて「マネーバイアス」第3の嘘(借金=悪)や信用・関係性の再構築というテーマと地続きになっているように思います。
①「本当の仕事は死んでから」
借金とは、未来から借りる行為。
「死後にどう貢献するか」という問いは、未来へ“信用”を贈る行為に通じる。
「本当の仕事」は、お金で評価されるものではなく、人間関係や記憶、文化に残るもの。
借金=悪という考えに対して、「生きている間に受けた恩を、死後に未来世代へ返す」という循環的思考。
負債とは単なるマイナスではなく、「次の世代に贈る責任」とも言える。
② ビジネスの基本とは何か?
ビジネス=人の困りごとを助けること。
現在は「できることを売り込む」構造が主流になり、関係性がゆがんでいる。
借金は本来「信頼の先渡し」=相手が何を必要としているかを感じ、応える行為。
ところが今のビジネスは「自分の持っているもの(スキル・商品)を売りつける」=信用でなく自己都合の押し売りになりやすい。
だからこそ、借金という言葉が「重荷・悪」に転じてしまう。
「信頼」や「本当の助け」とは、相手の痛みや困りごとを聞き取る力が前提。
それがなければ、どれだけ商品や能力があっても“独り相撲”。
ビジネスを“信用の応答”と再定義することで、お金と借金の意味も変わってくる。
③ 縁故米とお米の高騰
縁故米(親戚や知人に直接渡すお米)が流通量を圧迫しているという見方。
しかしこれは「関係性の経済」であり、善悪で語る話ではないのでは?
縁故米とは、貨幣経済の外側で行われる「信用にもとづく贈与・取引」の実例。
つまり、「金銭の対価」ではなく「関係の価値」で動いている経済。
こうした贈与的経済圏が残っていること自体が、貨幣だけに頼らない社会の可能性を示している。
「縁故米はズルい」ではなく、「貨幣経済が信頼関係をどう扱ってきたか」を問うことが重要。
縁故米は、現代に残る「関係性の信用通貨」とも言える。
最後に融資を受ける、借金をするときの意味のないパフォーマンスの問題についても語った。これはぜひともこのyoutubeを参考にしてもらえるとうれしい。
ぼくらはきっとルールにのっとってパフォーマンスをしているだけ問題。
この表面的な意味はすごくあるのだけど、真実の意味には程遠い、つまり、じゃれ合いのような行為が、どれほどあることか!
この問題を乗り越えることは可能なんだろうか。
相当高い壁のようにも思う。
1時間ある動画なんだけど、ぜひ。
ボイシーやスポティファイでも聞けます。
Comentarios