自分を愛することと他人を愛すること
- yamashina shigeru
- 4月29日
- 読了時間: 3分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
22番目の嘘
私たちはお金に依存している
21番目の嘘では、自立は次のように定義されていた。
自立とは、あなたが意識的にある活動のソースになって行動を起こし、そこから起きることの責任を引き受けることである。
つまり自立とは、誰にも頼らないことでも、お金を持つことでもない。
自分が起点となり、行動を選び、起きる結果をコントロールしようとすることを手放し、自分として応答し続ける在り方である。
この定義に立ったとき、22番目の嘘である「私たちはお金に依存している」という言葉の意味は、まったく違って見えてくる。
私たちは確かに、何かに依存して生きている。
しかし、それは本当に「お金」なのだろうか。
現実には、食べ物も、水も、エネルギーも、すべては誰かの営みによって支えられている。
私たちは、人との関係性の中でしか生きることができない存在である。
それにもかかわらず、「お金に依存している」と感じるのは、お金がその関係性を数字として集約し、見えなくしてしまうからかもしれない。
ここで、自立の定義に立ち返る。
自立とは、ソースとして立ち、応答し続けることだった。
このとき重要なのは、依存しているかどうかではなく、その関係性の中で自分として立っているかどうかである。
つまり、他者に支えられていることと、自立していることは矛盾しない。
「他者を支え、他者から支えられている」というつながりを確信したとき、私たちは本当の自立に至ることができる。(224p)
人がヒトとの関わりの中で苦しむとき、それは他者に依存しているからではない。
むしろ、自分がソースとして立てていないまま、人との関係性の中に入ってしまうときに生まれるのではないか。
自分がソースでない状態で関係性の中にいると、
・相手に期待し
・相手に委ねすぎ
・相手の反応に振り回される
その結果、「依存=苦しさ」として現れる。
一方で、自分がソースとして立っている状態で関係性の中にいると、
・支えられていることを受け取り
・起きたことに責任(応答)を引き受け
・関係性の中で循環を生み出すことができる。
つまり、自立とは、依存の否定ではなく、依存(つながり)の中でソースとして立つことである。
ここで少し、「自分に立つ」という言葉の「自分」について考えてみたい。
もし世界に自分ひとりしか存在しなかったとしたら、「自分」という概念そのものが成立しないはずである。
「自分以外の誰か」との関係性があるからこそ、はじめて「自分」という輪郭が生まれる。
そう考えると、「自分に立つ」という言葉もまた、他者とのつながりの中でしか成立しない。
個として独立することのように見えて、その実、関係性を前提とした言葉である。
私たちはお金に依存しているのではない。
人と人との関係性に支えられて生きているのだ。
それを理解し、自分がソースとして立ち、起きることに応答し続けるとき、依存は弱さではなく、つながりの力へと変わっていく。

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