暗黙の合意形成
- yamashina shigeru
- 2 日前
- 読了時間: 3分
人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である
樋口耕太郎 著
毎朝5時からの音読会で読んでいる本。
今朝のテーマは「無理ゲー」。
朝の音読会の対話の中で、正確に記憶しているわけではないが、こんな会話があった。
「在来種のみかんを育てたいが、そのみかんは一般に流通しているものほど甘くなく、ニーズがないため、作ることを断念した」
「無農薬で野菜を育てたいが、労力のことを考えると難しい。農業で生計を立てている人に、農薬を使わずに育ててほしいとお願いするのはどうなんだろう」
そんなニュアンスだった。
在来種を育てる。
無農薬の野菜を育てる。
ニーズの問題、販路の問題、労力の問題。
そのすべてに共通しているのは、「お金」の問題なのかもしれない。
「しかし、家族を養うことを考えると…」
「地域との関係を考えると…」
この言葉が出てしまうと、「そうだよね」と納得せざるを得ない。
それ以上の議論もできるのだろうが、どうしても信念の違いや対立構造が入り込んできそうだ。
僕自身も、暗黙のうちに、
「あ、このテーマはこれ以上踏み込んではいけない」
というブレーキを踏んだように思う。
同時に、
「まあ、結局家族のことを考えるとそうだよな」
「ここからの話は、個人の信念の話になり、他人が軽々と入り込むこともできないよな」
と、自分を納得させようとする力が働いていることに気づいた。
これを一日考えていた。
そしてようやく、ほんのわずかかもしれないが、ピーター・カーニックの気持ちに共感できたように思えた。
僕の認識が間違っていなければ、ピーター・カーニックは優秀な経営コンサルタントとして顧客にアドバイスを行っていた。
現場の課題から「真実の選択肢」を見つけ、顧客に提案する。
きっとこの選択をすれば経営が改善される――そう思いきや、経営者はその判断をしない。
そこには「マネーバイアス」が存在していた。
そこで、このマネーバイアスを取り除く必要があると考え、「マネーワーク」を開発。
その現実にある違和感の中から、「ソース原理」が見出されていった。
ソース原理が最初にあり、そこからマネーワークが生まれたのではなく、その逆であるということ。
このピーター・カーニックの気持ちに、ほんの少しだけ想いを寄せることができた。
ただ、これは音読会の中で客観的に参加していたからこそ気づけたことであり、実際に自分が当事者だったり、相手との距離がもっと近い状態であれば、気づくことは難しかったかもしれない。
ピーター・カーニックのことを知らない方には、なんのこっちゃって話なんだけど。
何に気づいたのかというと。
最初の対話――「みかんのこと」「農薬のこと」。
そこには理想がある一方で、現実としての「自分の家族を守る」というテーマがある。
そしてその根底には、やはり「お金」があるのではないかということ。
「これだとお金は稼げないよね」
「これだとお金が必要だよね」
表層には上がってこないが、結局このテーマに収束していく。
そして、そのテーマが現れた瞬間、なぜか場全体に霧が立ち込めるように、
「だったら仕方ないよね」
「これ以上議論するのは失礼だ」
という空気になる。
そして僕も、その空気に流されてしまう。
しかし、ここを諦めずに考えてみると。
そもそも、お金があろうがなかろうが、諦める必要はないはずなのだ。
本当は、お金が理由にならないはずだ。
でもできない。
ぼくもそう。
この論理的ではない、暗黙の空気に説得され、納得してしまう力。
これを「文化」と呼ぶのなら、どうすれば新しい文化を生み出すことができるのだろう。
これは「ど真ん中を生きる」ということにも、同じテーマがあるように思う。


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