自立
- yamashina shigeru
- 2 日前
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マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
21番目の嘘
お金があれば自立できる
自立とは、あなたが意識的にある活動のソースになって行動を起こし、そこから起きることの責任を引き受けるという意味を持つ。(212p)
本書には、このように自立を再定義する一文がある。
一般的に語られる自立とは、
お金を稼げること
生活できること
誰にも頼らないこと
といった「状態」を指すことが多い。
しかし、ここで語られている自立は、状態ではなく「在り方」である。
「ソースになる」とは何か
「あなたが意識的にある活動のソースになる」とは、自分が起点になるということだ。
誰かに言われたからやるのではない。
状況に押されて動くのでもない。
自分の内側から湧き上がる「これをやる」という声に従い、自ら選び、一歩を踏み出すこと。
そこには、リスクを引き受ける覚悟も含まれている。
「責任を引き受ける」とは何か
次に重要なのが、「そこから起きることの責任を引き受ける」という点である。
責任(responsibility)はresponse(応答)+ ability(能力)
つまり、起きたことに対して、恐れや反応ではなく、本当の自分として応答する力のことを指す。
ここで大切なのは、「責任を引き受ける」とは、結果をコントロールすることではないという点だ。
結果は完全にはコントロールできない。
しかし、起きたことにどう応答するかは選ぶことができる。
この「応答する立場に立つこと」こそが責任である。
ここまでを踏まえると、自立とは、
自分の内側から生まれる声に従って行動を選び、その結果に対して、コントロールではなく応答によって関わり続ける在り方
だと言える。
この理解に立つと、自立は
お金があるかどうか
誰に頼っているか
とは本質的には関係がないことが見えてくる。
むしろ逆に、
お金があっても、
誰かの期待に反応して動いている
恐れに突き動かされている
結果を他人のせいにしている
のであれば、それは自立とは言えない。
一方で、
誰かに支えられていたとしても、
自分の意志で選び、
自分が起点となり、
起きたことに対して応答しているのであれば、
それは自立していると言える。
そう考えたとき、「生きづらさ」や「障害」があることは、自立できていない理由にはならない。
誰かの支えが必要な状態であっても、どんなに小さなことであっても、自分の意志で選び、起点となり、応答していく在り方であれば、そこには確かに自立がある。
では、ここでひとつの問いが立ち上がる。
誰かの身体や心を傷つける行為が、自分の意志で選ばれ、その結果にも応答する覚悟があるとしたら、それもまた自立と呼べるのだろうか。
これは違うと感じる。
「ソースになる」ということ、
「本当の自分として立つ」ということは、
自分と他者が切り離された存在である、という前提には立っていないはずだ。
自分だけが独立した存在としてあり、他者とは無関係であるという感覚から生まれる行為ではない。
むしろその逆で、人は関係性の中に存在している。
その前提に立ったとき、誰かを傷つける行為は、多くの場合、恐れや欠乏といった「反応」から生まれている。
それはソースに見えて、実は反応である可能性が高い。
本当の意味でソースに立つとは、分離ではなく、つながりの感覚の中から立ち上がるものだ。
その深いところでのつながりから湧き上がる想い。
それこそが、ソースの源になるのではないか。
そう考えていくと、このテーマは最終的に
「自分とは何か」
という問いに戻ってくる。
そして最後に、もうひとつ興味深い視点がある。
お金には、「清算」「所有」「分離」といった性質がある。
本来は関係性の中にあるものを、切り分け、数値化し、完結させる力。
この性質と、一般的に語られる「自立(=誰にも頼らないこと)」が結びつくことで、本来の自立の意味が見えにくくなっているのではないか。
本当の自立とは、つながりの中にいながら、自分として立つこと。
これは、「ど真ん中を生きる」、ど真ん中エディットワーク内で大切にしている「実践」という意味に繋がっていくように思う。

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