自分を知り、自分として立つ
- yamashina shigeru
- 2 時間前
- 読了時間: 4分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
19番目の嘘
ビジネスとは継続的に利益をあげることだ
今回もAIに文章の校正を依頼しながらつくりました。
「ビジネスとは継続的に利益をあげることだ。」
この思い込みがなぜあるのか、いくつか理由が浮かんでくる。
たとえば、ビジネスをはじめるとき、多くの場合はお金を借りるところから始まるのではないか。
資金を調達すれば、当然そこには「利子」が発生する。
利子がある以上、元本に上乗せして返し続けなければならない。
そう考えると、「継続的に利益を出すこと」が前提条件のようになる。
あるいは、利益を出すことが企業の存在証明のように扱われる社会。
利益が出ていないなら存在価値がない、と無言で烙印を押されているような空気。
そうした背景の中で、「利益=ビジネス」という図式が、いつの間にか常識になっているのかもしれない。
しかし、19番目の嘘を読みながら強く感じたのは、「そもそもビジネスとは何か」という大前提を、もう一度問い直す必要があるのではないか、ということ。
私たちはいつの間にか、ビジネスとは利益をあげる活動だ、と当然のように思っている。
しかし本来、ビジネスとは何だろうか。
もしそれが、自分の持っているスキルや資源を用いて、誰かの困りごとを軽くすることだとするなら。
マイナスをゼロにすること。
あるいは、ゼロをイチにすることだとするなら。
その目的は、利益そのものではないはずだ。
目的は、誰かにとって、地域にとって、価値を生むこと。
誰かの状況を、ほんの少しでも良くすること。
それにもかかわらず、「利益をあげること」がビジネスの定義になっている。
ここに、今回の“嘘”の入口があるように思う。
これまでの章で語られてきたように、価値は応答として循環する。
本当の自分に立ち、恐れへの反応ではなく、自由と責任から選択し、行為するとき。
その行為は、誰かにとっての価値として届く。
なぜならば、そこに「嘘」がないからだ。
そしてその価値に対する応答のひとつとして、利益が生まれる。
利益は、結果でしかない。
ただし、応答にはタイムラグがある。
すぐに返ってくることもある。
別の形で返ってくることもある。
直接ではなく、誰かを通して戻ってくることもある。
あるいは、自分には戻らないかもしれない。
ずっと先の未来に、まったく違う形で返ってくる可能性もある。
だからこそ、「継続的に利益をあげること」という言葉は、どこか焦点がずれているように感じる。
利益を出すこと自体が悪いわけではない。
しかし、「継続的に利益を出すこと」を目的に掲げた瞬間、何かが反転する。
本来、価値を生むことが目的であり、利益はその応答であるはずなのに、利益を継続させることを目的にすると、価値は手段になる。
関係性は利用対象になる。
お客様に向ける笑顔や思いやりが、「利益のための技術」になってしまう。
そのとき、本来の動機は少しずつ歪んでいく。
今回の嘘のポイントは、「継続的に利益をあげること」が嘘だというよりも、「利益を追求することがビジネスである」という前提そのものを問い直すことにあるのではないか。
そしてもし、「継続」という言葉をあえて使うのなら、問うべきはこうではないだろうか。
継続的に利益をあげられるか、ではなく、継続的に本当の自分で在り続けることができるか。
そう考えたとき、会社という形態も、それほど重要ではないのかもしれない。
ソースが立ち上げたエネルギーが地域に循環し、その土地に意味や価値を生み、やがて文化として浸透していく。
それが大切であり、それを継続と呼ぶのなら、会社というカタチにもこだわる必要がなくなるように思う。
その地域にとって意味のある存在であり続けること。
価値を創造し続ける存在であること。
ここで、もうひとつの問いが浮かぶ。
自分と地域の関係とは何だろうか。
そもそも、地域とは何だろうか。
本当の自分として立ち続けることで生まれる価値。
その価値が、どこまでの範囲で循環することを自分は想像しているのか。
自分にとっての「地域」とは何なのか。
世界とストレスなく繋がれる仕組みがどんどん発達している今だからこそ、この「自分にとっての地域(地域という言葉が適切かどうかはわからないけれど)」を考えることは、とても重要なのではないか。
それは自分を知るということかもしれない。
自分を知り、自分として立つ。
この「地域をどう捉えるか」という感覚は、単なる個人としての思索なのか。
それとも、町の印刷屋という立場だから自然と湧いてきているものなのか。
そこはまだ、うまく自覚できていない。
けれど少なくとも、「継続的に利益をあげること」よりも、「継続的に本当の自分で在り続けること」。
そこにこそ、ビジネスの本質があるのではないか。

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