本物の勇気
- yamashina shigeru
- 3 時間前
- 読了時間: 2分
リーダーシップに出会う瞬間
成人発達理論による自己成長のプロセス
有冬 典子 著
読了

どんな感想を残したらいいのだろうか。
うまく言葉にできるイメージがわかない。
毎朝5時からの音読会で、エックハルト・トールの本を読んでいるからこそ、単純に受け取ることができない深みがある。
いままでの人生を振り返えると、どれほど勇気がなくて多くの現実から逃げてきただろうか。
逃げるための口実を考え、その口実を正しいものにするために、理論武装をする。
この選択肢が正しいのだと、自分に他者に言い聞かせるために。
自分が作り上げる物語に、他者を巻き込みながら、後戻りできない嘘を繰り返す。
その嘘を現実にしていくために、学び続ける。
学ぶ最大の理由はここにあるのかもしれない。
たとえば、「人生はなんとかなるもの」だと信じている。
運や縁を大切に生きる。
その波に抵抗せず生きる。
この自分の信念に近い気持ちは、嘘っぱちだ。
この信念には知られたくない気持ちが隠れている。
実際は、
「人生はなんとなると信じることができれば、目の前に立ち現れる恐れから逃げてもいいんじゃないか。だって、逃げてもなんとかなるのだから。」
「ぼくは、逃げることを肯定するために、この言葉を信じる。」
それが一番正しい気持ちだ。
しかし、50年人生を生きてきて、この「人生はなんとかなる説」が、どんどん怪しくなりつつある。
なぜか。
自分の身体的老い。
両親の老い。
メッキが少しずつはがれ始めている。
この年齢になっても自分の心にあるのは甘えだ。
大人をどう定義するかにもよるが、いまだに大人になれていない。
自立できてる感触は、全然ない。
親が生きている。
それだけで、守られている感覚がある。
どれほど、大きなものを受け取って生きていることか。
その大きさの半分ぐらいは、こどもに渡せるのだろうか。
数日前にアニメ「最果てのパラディン」を視聴し終えた。
最後のほうに「本物の勇気とは何か」を問う場面がやってくる。
人は難しくて、自分は苦も無くできること。
これは、どれほど結果をだしたとしても勇気とはいえない。
明らかに自分より格上の相手に挑むことを勇気と呼ぶのだろうか。
それほどの時間軸の中で勇気ある決断をすべきなのか。
もし、神が進みたまえと命令してもらえれば、とても楽なことなのに。。。
本物の勇気とは何か。
いまだ答えのでない問いだ。




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