大切なご縁があり、ど真ん中名刺を作らせていただいたことのある行動科学研究所の岩田さんのキャロリン・メイス バンクーバー2019ワークショップ「The Power of Holy Language to Change Your Life 」シェアzoom講座に参加した。
zoom機能の素晴らしさにまず驚いたのだが、この講座の中で教えて頂いた問いかけ。
「誰かの言葉で自分の中でずっと気になっている言葉を3つあげよ。」
ひょっとしてこの問いかけから気付く言葉が、自分の恐れとなり、その恐れから逃れようとしるチカラの使い方によって人生を生きようとしているのではないか。
その言葉に気づく問いかけでした。
講座中に3つの言葉と場面を思い出した。
1、お前はどうなんだ。
2、自主自立
3、家族はどこにあるんだ。
この3つになる。
それぞれを少し紹介させてもらう。
1、お前はどうなんだ。
ぼくが小学5年か6年のときの思い出だと思う。
当時夢中でホッケーをしており、ホッケーに関してはそれなりに自信はあったが、それ以外は全くダメな子供時代だった。特に苦手なのは水泳。水泳の授業がどれほど嫌だったことか、、今でも覚えている。
同級生のホッケー部のキャプテンは、水泳も抜群に得意だった。年齢は同じだが憧れの存在だった。
ぼくの実家の前に小さなスーパーがあり、その親戚の子どもが毎年夏休みになると遊びに来る。その子はスポーツ万能で、水泳も得意だった。年齢はひとつ下だったと思う。
町内の子ども達を取りまとめて遊んでいたのは、ぼくだった。
ぼくとして、いろいろ自慢したいのである。そこで
「ぼくの友人にお前よりすごい奴がいるんだぞ。」
と、プールに行き、近所の親戚の子をキャプテンに紹介した。
そのときキャプテンにどう伝えたか、、記憶は定かではないが、ぼくが何をしたいのかは理解したらしく、その時に言われた言葉がこれだ。
「他人を利用して自慢するな。」
「お前はどうなんだ」
心の深い部分に刺さった言葉になった。
そして恥ずかしくなった。
「俺はどうなんだ?」
この恐れから逃れるがことくチカラを使ってきたのではないか。
言い訳を考えるために勉強に励んだのではないか。
2、自主自立
大学を卒業後、ぼくを導いてくれた先生に出会い、そこで長く働かせていただくことになった。
その先生の背中、言葉から常に伝わってくるのは「自主自立」というものだ。
すでにぼくは結婚をし、子どもも生まれ、お金を稼ぎ、自立して生きていた。
外面的には十分自立できている状態だったのかもしれない。
自分はもう十分、自主自立できている状態である。
多分誰かに話すことがあるのであれば、そういう態度をとるだろう。
しかし、本当の自分はどうであるか?
「いつでも実家に戻れば、親が経営している会社がある」
「最終的には親が味方になってくれるはず」
そんな盲目的に思い込んでいる依存先があることで、自分勝手な安心感があったのは確かだ。
違う視点で考えることができれば、別に悪いことではないのかもしれない。ただ当時はそこまで大人になれない自分がいた。
だからこそ、その先生が見せてくれる「自主自立」の精神の前に立つと、
自分が簡単に崩れてしまうのではないか、崩れないようにするにはどうすればいいのか。
その恐れから、偽りの自分を作り上げていたのかもしれない。
自分のチカラを誰かに分け与える余裕など全くなかった。
それは明らかに家族に影響を与えた。
家族をどれだけ追い込み、しかも無意識無自覚の中で、家族を苦しめたことだろうか。
依存して楽をしたい。
自主自立で生きるなんてまっぴらだ。
でもそんな気持ちがあることは、1ミリも外には出さない。
絶対バレたくない。
誰には話さない。死んでも話さない。
そんな気持ちが悪循環を作っていた。
3、家族はどこにあるんだ。
富山市にあるフリースペースに招待され、自分のことを話す機会をいただいた。
参加者はそこを運営している方とその友人たちだ。
参加者の中に、ど真ん中名刺に興味をもってくれた方がいて、短い時間で説明させてもらった。
いつもの3つの円の図を利用して、
自分のやるべきこと
自分が求められていること
自分がやりたいこと
この3つが重なり合うところは何かを見つけ、カタチにしていく。
そういった話をさせてもらった。
そのときに参加者から、独り言のような感じの質問をいただいた。
「この図の中の、どこに家族があるんだろう?」
「家族が存在できる場所ってあるんかな?」
と。
この言葉は刺さった。
その場で布団をかぶって誰にも見られないようにして、消えてしまいたい。
そんな感情が起きた。
けれでも、みんなの前に立って話す講師という立場。
平然としながら、あやふやな言葉でごまかした気がする。
ど真ん中を生きる、その生き方を広げる。
そのことと、家族。特に夫婦関係であるパートナーとどうあるべきなのか。
それはすごく重たい質問だった。
この学びをするために今の人生があるといっても過言ではない。
パートナーとどんな視点で何を語り合うのか。
すごく大切だと実感している。
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