いい質問をいただきました。
mustとは、やるべき事。 やるべき仕事と、やらなきゃいけない仕事。 この違いをどう解釈すればいいのだろう。
ど真ん中エディットワークは、名前のとおり、自分の過去、現在、未来を「編集」していくワークになります。
全く新しい何かを発見するワークではなく、すでに点在しているこれまでの想い、これからの願い、過去の経験、今取り組んでいること、、、その一つ一つのパーツがどう繋がりあっているかを編集していきます。
ど真ん中エディットワークの始まりが、自分の「must」に向き合うこと。
ここから始まります。
mustに向き合い、社会を知り、自分を知る。
知れば、動きが見えてくる。
ではその動きは何か?
そもそもmustは、なぜそこに存在しているのか?
そんな感じで、ひとつひとつを編集していきます。
どちらにせよ、起点を「must」として考えていくワークになっています。
では、現実がうまく行ってない時、または、突然目標設定を変えることになった時。
その場合、mustをどう捉え直すべきか。
やるべきことに集中したいが、やらなければならない事もある。
現状を打破するためにmustを捉え直したことで、「やるべきこと」だったことが、「やらなければならないけど、できればフェードダウンしていきたいこと」に変わる場合がある。
じゃあ、自分のmustは、どこからどこまでなんだろう。
そういった疑問だ。
正直、ケースバイケースの場合が多くあると思うが、2年前に小矢部市倫理法人会で講話したときの内容を振り返ってみたい。
自分の使命を見つける方法はすごく簡単だ。
見つけるというより、「有る」ことに気づくこと。
なぜ、「有る」のかというと、人は血・育ち・教えの3つの要素で自分が出来上がっている。
人は人と関わることで成長している。
人との関係性があり、その中で「心」も育まれている。
「今、自分のなすべきことは何だろう」
と考えている時点で、心が育まれている結果であり、人の縁が今に導いてくれている。
であれば、きっと「有る」はずだ。
それを、mustと思えるかどうかの違いなのかもしれない。
ど真ん中エディットワークのワークシートの「must」記入欄に、「義務→使命→天職」という言葉を記載している。
義務とは、やらなければならないこと。
なぜやらなければならないことが有るのか。
それは、何度もお伝えしているとおり、「血・育ち・教え」「縁」があるからだ。
どのみち、やらなければならないことであるならば、やるべきことだと捉え直すことができるかどうか。
この義務を使命だと勘違いする力が、すごく重要なのかもしれない。
使命だと思えるなら、それこそ自分の天職とする。
天職とは、外の世界から探すものではなく、なすべきことに没頭することが天職だということ。
これは、時代の変化としても、世の中に受け入れられている。
最近のアニメのヒット作品を見てみると、どの作品の主人公も、自分が最初からやりたい!と思う夢を実現するストーリーではなく、「血・育ち・教え」「縁」というものがあり、突然目の前に現れた「義務」と向き合うところから始まる。
主人公たちは、その「義務」を「使命」だと捉え直し、没頭していく。
こういった主人公が注目されているのだ。
では、我々日本人の義務、使命とな何か。
国民の三大義務
教育の義務
勤労の義務
納税の義務
その義務を使命だと捉えることができるだろうか。
つまり。
教育の義務…惜しみなく次世代に知恵を伝え、
勤労の義務…仕事に使命を見出し喜んで働き、
納税の義務…地域づくり、国づくりに貢献する。
これが、日本人の義務であり、使命だと捉えることができる。
さらに、人間の義務について言及された言葉があった。
これは、至極当たり前のことだが、忘れがちな人間の義務だ。
人生二度なし。
一度きりの人生を生きるという使命があるということだ。
まとめると、
「人は必ず死ぬ」という真理を腹落ちし、次世代に繋ぐ若者への教育に力を入れ、自らこそエッセンシャルワーカーなんだと生きることと働くことを区別なく、自らのど真ん中を仕事とし、地域づくり、国づくりに貢献する。
これが、我々のmustなのかもしれない。
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