アニメ「アオアシ」、最終話となる武蔵野戦をみる。
最高やった!
サッカーではないが、20代の時、ヘッドコーチや監督を経験したことがあるからこそ、どうしたってスポーツアニメに感情移入しやすい。
誰かと感想を共有したいところなんだが、ひとまずブログで。
試合の途中から主人公が才能を発揮し始め、そこから大きく戦局が変わっていく。
この才能を発揮し始める前に、チームの監督から大切なアドバイスをもらっていた。
「才能の使い方が違う。」
「その才能には、もっと可能性があるんだ」と。
実は試合の前半でも、主人公は才能を発揮していたのだが、チャンスは増えているものの、結果だけみると相手に得点を許してしまう。
監督が指摘したのはこの2点だ。
「しばり」と「よどみ」。
自分の才能は一体何なのか。
少しずつ理解し始める主人公。
そして、自分の才能を発揮させることで、自分の欲を満たすことができることに気づく。
しかし、それは「しばり」でしかないと監督から指摘されたのだ。
自分の欲を満たすために才能を使うということは、それ以外には使わないという「しばり」を自分に与えていることになる。
まず、この「しばり」を解くこと。
自分の才能は、単に自分のためにあるものではない。
もっと大切な使い方がある。
特定のことにしか利用しないというのは、「しばり」だと。
そして、「よどみ」だ。
監督は、前半の失点の原因は、相手にボールを奪われたからではないと諭す。
一見、失点の原因を振り返ると、ある場所での相手との1対1でボールを奪われ、そこからパスが繋がり、失点につながったようにみえる。
しかし、本質はそれではない。
失点の原因は、もっと前からあったんだと。
それは、試合中で起きる微妙なポジショニングや選手の感情の変化、そこからくる思考や判断など、全体としての通常とは違う「よどみ」が生じていたんだと。
その目には見えない「よどみ」はなぜ起きたのか。
それが才能の「しばり」だと指摘される。
才能を特定の目的で利用しようとすることで、「よどみ」が生じたんだ。
これは、なかなか抽象的なアドバイスだが、すごくよくわかる!
才能を自分のためだけに使おうとした結果、フィールド内の特定の人と場所に「よどみ」が生じ、それが結果的に失点につながっているんだと。
才能は、よどみを生み出すために利用するのではなく、チーム全体のエンパワーメントを促すために使うもの。
この感覚的なアドバイスを理解する主人公。
それが、一機にチームを変えていく。
才能を活かし、チーム全体に影響を与えていくことで、個々の意識に変化が生まれる。
ここで印象的な会話が表現される。
「お前さえ抑えれば、まだまだ俺たちにはチャンスはある」
敵がチームを動かす起点に気づき、主人公を徹底的にマークをしようとする。
しかし、
「もう、俺一人を抑えてどうにかなる状態ではない」
と答える。
そう、チーム全体がエンパワーメントしている状態に入ったことで、ひとりを抑えればなんとかなるという状態ではなくなっていたのだ。
さらにつづく。
相手(敵)の心にも影響を与えるのだ。
一旦心が折れるぐらいのダメージを与えられたにも関わらず、自分のなすべき役割は何かを、改めて考える機会を与えらえることで、結果ではなく、最後までお互いがベストを尽くす試合展開となるのだ。
いやあ、なんとも激熱なアニメです。
それにしてもこの最終話の中に数多くの学びが含まれている。
①才能を発揮するには、自分の才能を理解できていなければならない。
②才能に「しばり」を与えてはならない。
③「しばり」を与えると、「よどみ」を生じさせてしまう。
④才能は、個人のためではなく、チームのために利用するほうが効果的。
⑤そのことで、チーム全体の意識に変化を及ぼすことが可能。
⑥この影響は、最終的に相手(敵)にも及ぶ。
⑦結果的に、敵見方、勝敗ではなく、全体として満たされる状態になる。
今、古典の「大学」を学んでいるが、まさに「大学」が伝えてくれている内容と重なる。
大学の道は
明徳を明らかにするにあり
民を親しむにあり
至善に止まるにあり
自らの才能を明らかにすることが最も大切だ
すると、分け隔てる事なく誰とでも親しくひとつになれる
そして、真理を理解できるようになる。
これが「大学」が伝えるメッセージだ。
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