富山市中央倫理法人会にて講話をさせていただきました。
内容は、当ブログで連載した「万人幸福の栞を読んで」という内容でした。
ただ、残念ながら時間が足りず途中で終わることになりました。
また、参加いただいた方で名刺交換させていただいた方に、しぼりたてのハチミツをプレゼントさせていただきました。
このハチミツに同封させていただいたハガキの内容を転写いたします。
お 礼
講話にて名刺交換させていただき、ありがとうございました。約束したとおり、非加熱の生はちみつをお届けします。
ヤマシナ印刷養蜂部が今年からスタートし、呉羽山で採蜜したハチミツです。ぜひご賞味ください。
今はちょうどひと段落し、次に採蜜できるのは8月ごろになる予定です。
また講話では、時間が足らず最後までお話することができませんでした。
最後の17条は「人生は神の演劇。その主役は己自身である。」ですね。
さすがに最後ということもあり、刺激的でかつ新しい気づきを与えていただいた内容でした。
「人生の主役は己自身だ。」
それに似たような言葉は世の中に数多くあり、多くの本にも書かれています。
しかし、この17条の特徴は「人かと思えば神、神かと思えば人、神人一致である」という一文でした。
神人一致というのであれば、「神はどうのように生まれたのか?」という「本」について考えてみました。
まず一般的に神が生まれた理由は、2つあるのではないでしょうか。
一つ目が、ホモサピエンスとしての進化の役割。
大きな集団を形成し、他の種族や集団を制圧するための手段として神を生み出した。
二つ目は、神が存在することを前提で考えないと解けない問題があるということ。最新科学の話だ。
ぼくは、実体験として神の存在に接したことがあります。
それは思春期に入り始めた少年のころ、
「どうして人は考えたり想像したりできるんだろう」
「自分って一体なんだろう」
そんな根源的な問いにぶつかったときです。
これは、どう考えても分からない。たぶん、今の科学をもってしても分からないのではないでしょうか。
そうなると「神」のような存在を自分の中で生み出し、無理やり解決するしかない。
「神」の存在を認めることで、思春期を乗り越えた気がします。
この世界では、どんなに考えても理解できない出来事があります。そうなると「神」を利用するしかなくなる。
つまり、「神とは、人が理解できない事の一切の総称」とも言えるかもしれません。
また、多くの賢者が「人生の主役は自分なのだ。自分を生きろ」と語ります。
しかし、自分を生きろと言われても、自分とは何かを完全に理解している人は、この世に誰もいないのではないか。
なぜなら、自分とは何かを理解できるのであれば、その時点で神の存在は不要なるからです。
つまり、この賢者の言葉には大いなる矛盾が含まれていることになる。
人が理解できないことを神として処理してきたはずなのに、人と神は一致しているという。
この賢者の言葉の矛盾と17条の言葉を解き明かすには、どんなマインドセットが必要になるのか。
それは、人生とは、解くことのできない問いに挑み続けること。
それこそ人生の醍醐味であり、自分を生きることになる。
そういうことなのではないか。
その前振りとして、16条でも「己の尊ぶの極みは、ささげるにある。」という説明を加えている気がします。
そういった気づきがありました。
またお時間がありましたら、ぜひ一緒に議論しましょう。
ヤマシナ印刷株式会社
専務取締役 やましな しげる
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