両親がぼくに残してくれたものは何なのだろう。
10年近く前(この感想文を書いた時点)に、父から会社をみてほしいという相談があった。
ぼくは岡山に住んでおり、印刷会社とはまったく異なる仕事をしていた。その時点で、実家に戻るという選択肢はなかったと思う。ただ、遠い将来は分からないという気持ちはもっていたのは確かだ。
実家の会社のことが気になりつつも、その時はじめて実家の内情を聞かせてもらった。
今会社にある設備やシステムを詳細に記した資料を見せてくれた。
印刷業界が低迷する中、同業者がカラー印刷へのシフト、合理化、差別化を進めるにも関わらず、父は白黒印刷がより鮮明になる機械に投資した。
ヤマシナ印刷は、今も昔も、軽印刷である。
軽印刷とは業界用語で、あまり難しいクオリティの高い印刷物が作れない。だいたい小さな印刷機をまわし、家族経営で、白黒の印刷物を作るのが軽印刷である。
大きな印刷機をもっている会社と比較して、「軽印刷」と言われるのだ。
カラー印刷が当たり前という時代の中、あえて白黒印刷のクオリティを上げる、また、いわゆる差別的ニュアンスが含まれる軽印刷という仕事に向き合っている父の姿がそこにあった。
その父は、70歳を超えてもなお、目を凝らしながらカッターを器用に扱い、紙を折るのも手、枚数を数えるのも手、手作業で会社に貢献している。
母は、僕を産んだと同時に股関節を悪くしたそうだ。
そして70歳近くになり、手術で人工股関節を入れ、歩けるようになった。
何のために手術をしたのかというと、父がもし身体が動かなくなった時に介護できるようになんだそうだ。
また常に前向きな性格でありながら、実家の押し入れには一切物がないことを知った時、必ず訪れる死と向き合い、誰にも迷惑を掛けないように死にたいという、その姿勢に心を打たれた。
この二人の両親が残してくれるもの。
生き様をこれからも学んでいきたい。
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