自分自身をさがし、自己の腹を固め、 どこに達しようと意に介せず、 自己の道をさぐって進む、 という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。
各人にとってのほんとの天職は、 自分自身に達するというただ一事あるのみだった。
詩人として、 あるいはキチガイとして、 犯罪者として終わろうと、 それは肝要事ではなかった。
肝要なのは、任意な運命でなく、 自己の運命を見いだし、 それを完全にくじけずに生き抜くことだ。
ほかのことはすべて中途半端であり、 逃げる試みであり、 大衆の理想への退却であり、 順応であり、 自己の内心に対する不安であった。
私は自然から投げされたものだった。
不確実なものへ向かって、 おそらくは新しいものへ向かって、 おそらくは無に向かって投げ出されたものだった。
この一投を心の底から存分に働かせ、 その意志を自己の内に感じ、 それをまったく自分のものにするということ、 それだけが私の天職だった。
それだけが。
ヘッセ
高校3年のときに文集に残した言葉。
これがぼくの原点のひとつなのかもしれない。
ここに残したい。
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