母について語ろう。
先日、小矢部市華道連合会の総会で講話をさせていただくという素敵な時間をいただいた。
母が、長年生け花をしており、今でも生徒さんに花を教えている。
その繋がりもあり、ぼくに声がかかったようだ。
講話の内容についての指定は特になく、漠然とした講師依頼だった。
なんとなく、ぼくが障がい者や子どもたちの支援をしていると思われているようで、そんな社会貢献活動の話が聞きたいようなニュアンスがあった。
結論からいうと、たぶん主催者が予想をしていなかった話をしたことになる。
・ど真ん中を生きるとは
・人間の一生とは
・「道」とは
・小矢部市華道連合会が100周年を迎えるためには
こんなテーマでお話させてもらった。
さて、この小矢部市華道連合会で講師を務めるにあたって、この内容に決まるまですごく大変な作業だった。
なぜ大変だったのか。
まず参加される方のほとんどが60歳を超えており、全員女性である。かつ、華道の先生という今までにない特殊な環境だということ。
次に、母も参加しているということ。
最後は、自分の活動の話に共感してもらえそうなイメージがまったく浮かばないことだった。
このプレゼン内容を深めて考えている時に、ひとつ浮かんだのは「母と生け花とぼく」との関係だ。
この関係について語るとすごく場が盛り上がるのではないかと思い、いろいろ思考を深めていた。
ただ、この関係性を語るには、どうしても解決しなければならないテーマがひとつあった。このテーマは、今回お話を頂く前から考えてきたことなのだが、全く答えが見いだせない状態になっていた。
それは何かというと。
幼少の頃から、母が自宅で生け花をしている姿を何度も見たことがある。何度どころじゃないな。毎晩毎晩夜遅くまで生け花に没頭している姿を目にしていた。
これは今でも続いている。
母の生け花は、古流といい、型が決まっており、その型に合わすような生け方だ。(これは何もしらない僕視点だが。)
目の前の花を切り刻み、ワイヤーを利用して強引に型に合う姿に変えていく。
花を人の手でどんどん変化させていく作業が、ぼくはどうしても好きになれなかった。
「花が可哀そうだ」
子どもの頃のぼくの心には、この可哀そうという気持ちが溢れ、母の生け花の姿をみることができなかった。
母は、満足いく作品ができあがると、
「いい作品になった。見て。」
と、必ず作品を誇らしくぼくに見せようとする。
実はこれも結構苦手だった。
相当痛くて苦しい思いをしたであろう花が、目の前に飾られている。
このどこが美しいのだろうと。
ずっと、そう思っていた。
だから、今まで一度も生け花が素敵だと思ったことがない。
この僕自身の感情。
つまり、植物に対して人や動物の命と同じように感じる感覚や感情は、どのように培われたのだろうか。
これが、解決したいテーマだ。
つまり、表面的な母と生け花に対するエピソードを語ることができても、なぜ僕はそう思う人間だったのかを説明できないなと思っていたのだ。
何かの漫画の影響なのか。
テレビの影響なのか。
何かエピソードがあったのか。
生まれつきの感情なのか。
いくら考えても、植物の命に手を加える人間への強烈な嫌悪感のスタートラインが分からない。
このテーマが解決できれば、みんなの前で話をしようと思っていた。
それができなかったのだ。
それが、実は昨日のど真ん中名刺の打合せ中に、ヒントをいただき、ひょっとしてそうかもしれないという答えに気づいたのだ。
50歳を前にした気づき。
一言でいうと「嫉妬」だ。
だぶん、承認欲求というよりか、「嫉妬」なのではないか。
つまり、母が生け花に没頭していること、そして、仕上がった作品を全力で褒めたたえる姿に嫉妬していたのではないか。
母の生け花に対する愛情への嫉妬が、湾曲し、「花の命が可哀そうだ」という論理的現実的な視点で表現していたのではないか。
これ、本当に難しいのは、過去の感情を振り返っても、嫉妬していたという感情は僕の中にはどこにも見当たらないのだ。
深層部に秘められた感情な可能性がある。
感情や想いというのは、どこまでいっても証明できることでもないし、結論づけることはできないと思うが、たぶん「嫉妬」だろう。
嫉妬が、「植物の命が可哀そう」という二次的感情を生み出していたのではないか。
ぼくにとっては、この二次的感情こそ真実でしかなく、この年齢に達するまで、「そうだ」と思っていた。
「ぼくは、人の何倍も植物の命に敏感な人間だ」と思い込んでいた。
これはヤバイ気づきだ。
この歪みが、ぼくと妻、ぼくと子どもたちとの関係に大きな影響を与えているのは確かだ。
受け入れよう。
さらにもうひとつ大きな気づきがある。
これは次回説明したい。
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