我は生まれながらにして 之を知るものにあらず。 古を好み、敏にして 之を求めたるものなり。
私は生まれた時から、どのように生きたらよいかという人の道を知っていたわけではない。
ただ古の聖賢の学問を好み、速やかにそれを求めたに過ぎない。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
人間の脳が劇的に進化しているわけではない。
であれば、人の道は、これまで多くの方が研究してきた中に価値のある学びはある。
それは今でも十分に通用することだ。
古の学問を素直に学び、分からないことがあればすぐに調べることができるか。
その大切さを伝えてくれている章句だ。
少し飛躍して考えると、自分の家系、ルーツを調べること。
自分が生まれ育った土地の歴史をひも解くこと。
そのことも立派が学びであり、自分の道を知る大切なキッカケになるということだろう。
ど真ん中名刺ワークショップでは、自分は一体何で出来上がっているか。
「血」「育ち」「教え」について、一度考えてもらうワークを行う。
この3つの中で大切になるのは「血」だ。
つまり、日本人なのか、両親はどこの県出身であるのか。おじいちゃん、ひいいおじいちゃんはどんな仕事していたのか、どんな生活をしていたのか、どんな価値を大切にしていたのか。
それを知ることは、今の自分を知る大きなキッカケとなる。
ただ、残念ながら、ぼくも含めて、「血」に興味を持つことはとても難しい。
過去に興味を抱くこと。
「自分の名前の由来は何か?」
なども大切なのかもしれない。
2代目、3代目の会社の社長であれば、創業者の想いを知ることもとても重要になるはずだ。
人はどうしても未来に想いを馳せてしまう。
一度ルーツをさかのぼること。
これはとても重要なことのように思う。
そして、よく考えてみると。
自分自身の人生を次の世代につなげることも同様に大切になる。
自分の子孫が、自分のルーツに興味をもったときに、見ることのできる、読むことのできる、感じることのできるものを残す。
これも忘れてはならない、生きている人間の宿題のように感じる。
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