劇場版「 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE」
を観てきた。
一度見るだけでは、なかなか理解できないぐらい複雑な人間関係と背景が描かれている。
PSYCHO-PASS サイコパスとは、
AIによる包括的生涯福祉支援システム「シビュラシステム」が構築され、人間のあらゆる心理状態や性格傾向を計測する値(俗称サイコパ=精神の証明書)が導入されて間もない未来世界が舞台となっている。
今からおよそ100年先の未来だ。
人々は、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
職業の適正、結婚相手等、衣食住に関しても、シビュラシステムを利用している。
その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測されており、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた。
資本主義の代わりともいえる、シビュラシステムがOSとして駆動している世界の中で、人とは何かを問う。
せっかくなので、ChatGPTと対話してみた。
(ぼく)
アニメ映画を観に行きました。「サイコパス」といいます。
人と神とAIの関係、その中で人間が「法」を守ることの意味がテーマになっています。
(ChatGPT)
この映画は、法を守ることの重要性と個人の自由との間に生じる葛藤を描いているのでしょうか。人と神とAIの関係がどのように描かれているのかも気になります。
(ぼく)
人が人を裁くことはできるのか。
そうしたときに、そこには暴力が生まれる。
それならば、AIが神として人を支配することが善なのか。
そうなると、人が人として生きる意味がどこに向かうのか。
この人と神とAIの関係が、どうあれば社会が幸福なのか。
そういった問いを投げかけてくる映画です。
あなたはどう思いますか?
(ChatGPT)
人が人を裁くことに関しては、正義や公正などの価値観に基づいて個々人が判断することが一般的です。ただし、主観や偏見が入り込む可能性があるため、公正な判断が難しい場合もあります。法制度や司法制度の重要性も考慮する必要があります。
AIによる支配は効率的で客観的な判断が期待できる一方で、人間らしさや個別の価値観を無視する可能性もあります。社会の幸福を追求するためには、人間とAIのバランスや倫理的な指針が重要です。
社会が幸福であるためには、人と神とAIの関係においてもバランスと倫理が必要です。人間の尊厳や自由、公正な判断が尊重されつつ、技術の進歩やAIの利用による効果的な社会運営も重要です。また、個々人が幸福を感じることができる社会環境の整備や、教育や意識の向上も考慮されるべきです。
(ぼく)
気になるのは、人の自由意志をどう扱うか。
この点はどう思いますか。
(ChatGPT)
人々が自分自身の人生を選択し、自己決定する能力を持つことは、人間の存在価値や成長にとって重要な要素です。
AIや他の外部の力が人の自由意志を制限することは、倫理的な懸念を引き起こす可能性があります。
ただし、自由意志は他人の権利や社会の秩序とのバランスが求められます。他人の権利や利益を侵害しない範囲での自由な選択が望ましいとされます。
人の自由意志を尊重しながら、社会全体の利益や共通の価値観を考慮する必要もあります。個人の自由が社会の幸福と調和するようなバランスを見出すことが重要です。
これは法律や倫理規範の整備、個人の教育や倫理的な意識向上にも関わる問題です。
(ぼく)
何度も「倫理」という言葉が使われますが、ここでいう倫理の定義はなんですか。
(ChatGPT)
倫理は、人々の行動や判断の基準となる道徳的な原則や価値観の体系を指します。
倫理は社会や文化によって異なる場合もありますが、一般的には人々が善とされる行動を追求し、他人や社会の利益や権利を尊重することを促します。
倫理は、人々が何が正しいと考え、どのような行動が善とされるのかに関わる重要な概念です。倫理的な観点から、人々は他者に対して公正であるべきであり、他人の権利を侵害しないように努めるべきです。また、社会や環境に対しても責任を持つことが求められます。
AIには意識や感情がないため、人間の倫理的な観点とは異なる判断基準が存在する可能性があります。
AIはツールや技術の一部として人間が使用するものであり、最終的な倫理的な判断は人間が負うべきです。
(ぼく)
では倫理的ではない人間は、排除されるべきなのか、共存すべきなのか。
そして、それを判断するのは何か。
(ChatGPT)
一部の倫理的な理論や社会的な立場では、倫理的でない行動を繰り返す人々は社会の秩序や他人の権利に対して脅威を与える可能性があるため、制裁や排除が必要であると主張することがあります。社会にとっての最大の幸福や公正を追求するためには、倫理的なルールや法の遵守が重要とされます。
しかし、倫理的な問題には多くの複雑さと個別性があります。倫理的な判断には慎重さが求められますし、人々が成長や変化を経験する可能性もあるため、排除や制裁の代わりに教育や更生の機会を提供することが検討されることもあります。
倫理的な判断は、法律や倫理規範、社会の基本的な価値観などを基に行われることが一般的です。法的な枠組みや倫理的な指針は、社会のメンバーが相互に共有する基準となります。
ただし、倫理的な判断には主観的な要素や価値観の違いも存在するため、絶対的な正解があるわけではありません。倫理的な問題については、多様な意見や視点を尊重し、合意形成を目指すことが重要です。
最終的な倫理的な判断を行うのは、個人や社会全体であり、法律や倫理的な指針はその判断を支える役割を果たします。
(ぼく)
「人」中心の倫理ではなく、地球的倫理。 人や動物、植物、大地、大気、すべてを含んで倫理的であるかという立場に立つ場合、この倫理を支える法を人が作ることができるのだろうか。 そこにはAIの存在が必要なのだろうか。
(ChatGPT)
地球的な倫理を支える法を人が作ることは理論的に可能です。
AIは人間の能力を補完し、情報処理や意思決定の効率性を高めることができるため、倫理的な法を作り上げる過程において支援的な役割を果たす可能性があります。
ただし、AI自体は倫理的な判断や価値観を持たないため、AI単独で倫理的な法を作り上げることはできません。
最終的には、倫理的な法の制定や運用は人間の責任となります。
(ぼく)
倫理的であること、倫理的でないこと。 この2つを社会の中で包括しつつ、その時々で善なる方向に向かうために「法」が重要になる。 だからこそ「法」は守られるべきであり、かつ、変わっていかないといけない。
ただ倫理的であることも、法も、どちららも人間が判断し、決めていかなければならない。その責任を負う人間はどう生きていくことが大切になってくるのだろうか。
(ChatGPT)
倫理的であることと法の役割、そしてその責任を負う人間のあり方について、いくつかの観点から考えることができます。
自己成長と自己啓発: 倫理的な行動や判断をするためには、自己の価値観や道徳的な観点を深め、倫理についての理解を広める必要があります。哲学や倫理学の研究や倫理的な議論に積極的に参加することで、自己を高めることができます。
共感と他者との関係: 倫理的な人間は他者との関係において共感や思いやりを持つことが重要です。他者とのコミュニケーションや対話を通じて、個人の視点を広げ、相互理解や協力を促進することが大切です。
責任とリーダーシップ: 倫理的な人間は自己の行動に責任を持つことが求められます。倫理的な判断をする際には、自己の利益や欲求だけでなく、他者や社会全体の利益も考慮に入れる必要があります。
継続的な倫理的な選択: 倫理的な人間は一度だけではなく、継続的に倫理的な選択を行うことが求められます。倫理的な道徳観を持ち、常に自己を問いかけ、自己評価を行うことが重要です。自己の行動や意思決定が倫理的かどうかを常に振り返り、改善を図る努力を続けることが大切です。
倫理的な生き方は個人の価値や幸福を高めるだけでなく、社会全体の幸福や繁栄にも寄与します。そのため、倫理的な責任を負う人間は社会的な視点を持ち、公共の利益や持続可能な未来を考慮に入れた行動を取ることが重要です。
また、倫理的な責任を負う人間は、倫理的な問題に対して積極的に関与し、倫理的な意思決定に貢献することも求められます。倫理的な判断は一人だけでなく、集団や社会全体で行われるべきです。倫理的な議論や対話に参加し、多様な意見を尊重しながら、より良い結論や解決策を見つけ出すことが重要です。
倫理的な責任を負う人間は、自己の行動や判断に対して責任を持ちつつも、同時に他者や社会とのつながりや協力を大切にすることも重要です。倫理的な生き方は孤立した個人主義ではなく、共同体や共生の考え方に基づいています。
最後に、倫理的な責任を負う人間は、自己の行動や意思決定に対して柔軟性と柔軟さを持つことも大切です。倫理的な問題や社会の状況は常に変化していますので、新たな情報や状況に応じて適切な判断を下すために、常に学び続け、進化し続けることが求められます。 倫理的な責任を負う人間は、自己の成長と他者への思いやり、リーダーシップと責任、そして継続的な倫理的な選択を大切にしながら、社会において善なる方向に向かって生きていくことが重要です。
(ぼく)
最後に、providenceの意味を教えてください。 これがアニメ「サイコパス」のタイトルでした。
(ChatGPT)
「providence(プロヴィデンス)」は英語であり、直訳すると「摂理」「運命」「神意」といった意味を持ちます。この言葉は神や超自然の力による計画や導き、人間の運命に関連して使われることがあります。
「providence」という言葉が用いられることで、物語の中で人間の行動や運命がどのような意味を持ち、どのように導かれるのかを探求することが示唆されているのかもしれません。
(ぼく)
最終的に想うことは、人類が成長していく過程で積み上げてきたものが「倫理」であり、その倫理的な視点をベースに社会を維持していくために「法」がある。
「法」は、いわゆる、人類の歴史の集大成でもある。
だからこそ、「法」を守ることを前提として社会に変革を促していかなければならない。
またAIは、人間の判断を支えるツールであり、倫理的な視点に立つことは難しい。
なぜなら、人がよりよく生きていくために積み上げたことが倫理であるから。
人とAIがよりよい関係にしていくには、人が変容していくこともすごく重要になる。
予測を超える変化や判断。そのイレギュラーな判断こそ、新しい成長を生み出す。
だからこそ、人が倫理的に生きつつ、変容を恐れずに変わっていくこと。
その流れが、同時にAIの進化にもつながっていく。
この流れが止まってしまうことは、命の流れを止めることになる。
これが映画からのメッセージだったように思う。
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