実践型読書会
「答えようとするな、むしろ問え」
自分としての「冒険の書」を歩む
孫泰蔵氏の著書「冒険の書」を活用します。
もし自分であればどんな問いを立て、冒険に踏み出すだろうか。
大切な問いがあったはずなのに、見失ったことは。
真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることなのだ。
The real voyage of discovery consist not in seeking new landscapes, but in having new eyes. (本書2ページより)
自ら発見した「問い」からはじまり、他者との対話、自分との対話、本との対話、AIとの対話を通じて、「答え」ではなく、「新しい目」「新たな問い」を見つけていきましょう。
6回コースの第3回目の様子を紹介します。
第3章
考えを口に出そう
THINK OUT LOUD
なぜ大人は子どもに「勉強しなさい」と言うのか。
この問いから始まる。
そもそも「学力」「能力」とは何か?
ここで、優生学について語られる。
ダーウィンの「種の起源」を起点として、宗教から科学を信じる世界に世の中は変化していった。
その変化の中で、「種の起源」が誤読され、優れた人間同士からは優れた子どもが生まれると信じられ、人種差別、障がい者差別が色濃くなっていく。
日本でも1996年まで「優生保護法」のもと、強制不妊手術等が行われていた。
優れているとはどういうことなのか。
「能力」とは何か?
実は、「知能テスト」が一般的に広まったことによって生まれた統計的な概念にすぎない。ある意味、信仰の一種といっても過言ではない。
にもかかわらず、その「能力」は、万能な一通貨のように広まり、能力を高めることは、お金が貯まることと同様に思われるようになった。
子どものころは、誰もが「なんのために勉強するのか?」という問いを感じたことはあるのではないか。
勉強することは、能力を高めるためであり、それは通貨にもなるということ。
しかし、それは知能テストが広まったことによる概念、信仰の一種でしかないこと。
そんなことを大人が教えてくれるわけでもなく、、。
すると、考えても分からない「問い」を前に、思考停止になる。
そうなると、いつの間にか、手段だったはずの勉強が、目的になってしまう。
つまり、思考停止こそ、手段と目的を逆転させるのだ。
ただ、現在弊害が起きている思想や思考は、最初は善意から始まっているということ。
そのことも忘れてはならない。
つまり、現在進行形でぼくらが善意で行っている行為や判断が、次の時代にとって弊害になる可能性があるということだ。
あと、循環論法のトリックについても紹介されている。
未来は誰にも予測できないということ。
つまり、行動を起こし、偶然成功することで、社会的に能力が高い人だと評価される。
この順序の逆も正しいのではないかと思考してしまうことが、循環論法のトリックだ。
つまり、能力を高めれば、評価され、それが成功に近づく道だと。
でもそれは本当に正しいのだろうか。
「才能」に関しても、迷信のようなものではないか。
人間のすべての活動は、本来、好きだから楽しく真剣にやっている。
それだけで十分なはずでは。
これまで、信仰だったり迷信のような「能力」「才能」が評価基準だった。
では、それにかわる評価はあるのだろうか。
そのひとつとして紹介されているのがこれ。
誠実に、心をこめて、相手の良さを認める
Give honest, sincere apprecation.
デール・カーネギー
英文にあるアプリシエイト(appreciate)
鑑賞する+感謝するという意味が込められている。
認めて、理解し、その存在自体に感謝する。
いい悪いや順位で評価するのではなく、存在に感謝するのだ。
メリトクラシー
社会における人間の地位は、生まれなどによって決まるのではなく、その人の持つ能力によって決まるべきという考え。
ぼくらが生きている世界は、このメリトクラシー全盛の時代。
50年、100年前までの時代は、どんなに能力が高くても、家柄や血筋がお重んじられていた。
資本主義による「自由」とは、このメリトクラシーのことだと言えるかもしれない。
現在学校とは、メリトクラシーを強化する場所になっている。
ところが、今ChatGPTをメインとした人工知能の普及が、メリトクラシーを破壊し始めた。
人間がどんなに知識を高めようが、人工知能には勝てない。
そんな時代で、生身の人間に「学力」なんか身につけさせてどうするんですか?という問いが生まれた。
ではどうすべきだろうか。
Thinking outside the box.
まずは、自分たちは、箱の中にいることに気づくこと。
そして、異なる点と点を結んでいくことが大切になる。
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