前職では、印刷会社を選定し利用する立場だった。
そこから印刷会社の中に入ったときに一番驚いたのは、中で働いているスタッフの感覚と、印刷会社を使う立場だったぼくとの感覚のギャップだ。
それは仕方がないことかもしればい。
視座が分かることで、はじめて気づくことが多くある。
大学時代、アイスホッケー部だった。 関西のリーグ戦でチームとしてはそれほど強いチームではなかったかもしれない。けれども、個人的には結構目立つ存在になれた気がしていた。関西のアイスホッケー界の勢力図と自分の位置を理解しているつもりだった。 ところが社会人になり社会人チームに入った瞬間に驚くべき事実に突き付けられた! 幼少からアイスホッケーを始め、高校の部活にも所属せず、大学にもいかず、ただひたすら大人たちのチームでプレーする選手が山のようにいることを! そして、とんでもなくうまいのだ! 大学時代には絶対合うことのない選手たちだ。 なんか自分の存在の小ささと、全部を理解しているつもりだった自分を反省したことがある。 大学のリーグ戦がすべてだと勘違いしていたのだ。 そんな感じで、視座が変わった瞬間、驚く景色を目にすることがある。 ただ、今回話したいのはちょっと違う。 視座を変えるとは、上記のような感じでなんとなくこれまでの視点から一段上に上がることで見る景色のように思っていた。 しかし、その逆もあったのだと。 自己の内面を掘り下げる変化。
森信三先生の学道論という講演内容です。
大分端折ってますし、言葉変えてます。
教育の目的は、立志でしかない。
それは松明に火を点けることによく似ている。
松明の目的は、火を点け、闇を照らすことだ。
それ以外の目的はない。
教育の目的も同様で、立志でしかない。
心に火を灯す。それ以外ない。
では、どうやって相手の心に火を灯すことができるのか。
その方法も唯一ひとつしかない。
目的もひとつ。方法もひとつってことだ。
シンプル!
自分が志を抱くこと。
つまり自分の松明に火をつけることだ。
また、松明に火をつける手順は2つだけ!
①自分の松明に火を点ける。
②その松明を他の松明に近づける。
これだけだ!
目的も方法も手順もこの上なくシンプル。
さあ、実はここで大事になってくるのは②の近くの松明に火を点けるという行為だったりする。
第3者の視点からすると、まだ火のついてない松明のために、火を点けてあげる行為に映る。
外へのアウトプットな感じ?
しかし現実はまったく違う。
自分の松明に火がついたら、近くに松明がある限り、それに火をつけずにはいられなくなる。
いられなくなる!!
これが真実だ。
もし、そうならないとしたら、結局は自らの松明に火がついていないだけ。
つまり、誰かのところへ火を点けにいくという、一見外へ向かう行為のように見えるが、本当は、さらに自分の内面を深く掘り下げていく行為である。
深く内面を掘り下げていく中で、他の松明に火をともし、闇を照らさずには置けなくなる。
他者からは外へ向かう行為に見えるが、本当は、内面に深く向き合う行為なのだ。
具体的に現場の話をすると、生徒から何を学ぶか、聴衆から何を教えられるかという態度となる。
経営者の極意であり
広告、営業の極意のように感じる。
ど真ん中名刺を作ろうと思ってくれる方のほとんどは、すでに自分の松明に火が付き始めている状態だ。
もうすでに、赤々と燃えている状態の方もいらっしゃる。
そして、作るお手伝いをするぼくの松明はどんな状態であるのか。
毎回問われるのは、そこだ。
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