今朝は、朝活大学素読会でした。 1月から始め、前回で一通り最後まで読み終え、今回新たに最初から始めます。
大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善。
大学の道は、 明徳を明らかにするに在り。 民を親しむに在り。 至善に止まるに在り。
この文から始まります。 そして、この最初の文が、大学のすべてを表現しています。
大学は、自己自身をますます修めていくとともに、他にも良い影響を及ぼすことができるように学んでいくこと。 己を修め、人を治める道、「修己治人(しゅうこちじん)の学」が大学だ。
ちなみに 小学は「修己修身の学」 中学は「調和・創造の学」 となる。
この大学の最も大事なテーマが、明徳を明らかにすることだということ。 これは、すごく興味深い。
徳とは生まれながら持っている徳性のこと。 才能と言い換えることができるかもしれない。 違うのは、才能の中には、自分や他人に害を与えかねない才能がある。 そうではなく、どれだけ時間をかけても、どれだけやっても、自他ともに害なくいい影響を与え続けることのできる才能。 それが徳性に近いのだろう。
その徳性は、見える徳性と見えない徳性がある。 明徳とは、見える徳性だ。
これを明らかにしていくこと。 それが最も大切なことだと伝えている。
自分の種はどんな花が咲くのかを理解し、それがちゃんと発芽し、満開の花を咲かす。
そのための発動条件や環境を整え、日々手入れを怠らない。
明徳が明らかになれば、自然に、その成果は自分ひとりの力ではないことを理解できる。
土の大切さ、水の大切さ、思いやりの心、太陽の大切さ、、、。 自分と他人との境界線などないのだと。
そして、その日その日に起こるトラブルに対処するのではなく、いつ、だれがしても変わらない普遍的な法則を学んでいくこと。
これが大事なんだと。
ここまで言葉で理解したとしても、まだぼくの中には「明徳を明らかにする」ことを十分理解できているかというとそうではない。
これは、自分自身が、リーダーというより職人的な生き様にあこがれを感じているからかもしれない。
明徳を明らかにする大切さを理解しながらも、目には見えない徳性、つまり玄徳に惹かれるのだ。
そんな心に気づけた。
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