ど真ん中名刺デザインブックVol2の「おわりに」の文章を紹介します。
言霊という言葉は、よく耳にしますが、言挙げという言葉についてはあまり耳にしません。
言挙げと言霊。この二つの言葉が、日本文化を言い表している言葉のように思います。
以下、文章。
葦原の瑞穂の国は神ながら 言挙げせぬ国
然れども 言挙げぞ我がする (柿本人麻呂)
言挙げとは、言葉で自分の意志や想いやを明白にする行為。
この国は、「神ながら 言挙げせぬ国」。
それに反する行為は、神をも背く行為なのだ。
詩の国であり、決して理の国ではない。
日本は、頭では理に向かう世界を望みながら、根本では詩の国であることを誇りにさえ思う変わった民族なのかもしれない。
ではなぜ、言挙げせぬ国なのか。
それは、大和の国は、言葉に魂が宿る国だからだ。
言葉に魂が宿るからこそ、むげに意思表示をしてはならない。
それを知ってもなお、言挙げするのであれば、その言葉を穢すな。
宣言した限り、本気で行動せよ、命をかけろ。
つまり、そういうことになる。
この言挙げを嫌う精神文化こそ、日本が日本である土台を生み出したのだろう。
しかし、そこは人間。
抑えきれない、届けたい想いが、今ここにある。
命をかけて言挙げをし、本気で行動する姿。
言霊を穢さぬよう、言葉を大切に重んじるその心。
その言葉と行動を一致させる「誠」ある姿こそが、人を動かす。
至誠にして動かざる者は 未だこれ有らざるなり (孟子)
これは真理だ。
この一冊は、その重みを腹に落とした兵たちの言葉の集まり。
それだけの凄みがある。
人よく道を弘む
道 人を弘むるにあらず (孔子)
整備された道を通るには通行手形が必要だ。
どこまで進もうとも、必ず関所が用意されている。
しかし、どんなに進もうとも、残念ながら道が人をつくるわけではない。
人が道をつくるんだ!
本当にその関所は通らないといけないのか?
背丈を超える草が生い茂る森を進むこともできるのではないか。
油断すると陥るこの世界の罠から脱し、
人がつくった道ではなく、
自分の道を作りつづけている各人の物語は、これからも続く。
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