はじめてのことに出会う感謝
出会ったことで、新しい気づきが生まれる感謝
出会ったことで、新しい悩みが増える感謝
全部を感謝にかえる生き方。
その生き方に気づくには、その生き方に気づくための道がある
以下、矢野さんの記事。
わたしは、本当の自分に出逢うために生きている。
本当の自分が何なのかまだわからない。
もし、いつか出逢えたならそれは、素直であり、静かであり、安らかであり、光明であり、自由であり、そしてエネルギーに満ち溢れていてほしい。
ふるさとの空はとても近かった。子どものわたしが手を伸ばすとすぐそこにあった。
トンビが大きく円を描いていた。
目の前の海に飛び込む。
底から浮き上がると龍が見えることがあった。
一瞬時間が止まる。
色もなくなる。
わたしだけが息をしていた。
オレンジの光が整列して現れることはよくあった。
決まって鹿島森の真上だ。光ったり消えたりしてとても綺麗だった。
空と海と山はいつもすぐそばにあった。
学校が休みの日は、十七匹の猫と一匹の犬、みんなで遊ぶのが大好きだった。
よく似た模様の子猫たちはみんな「ちょん子」。
犬はいつでも「チビ」。
すべての命は姿形が違
うだけで、同じ場所からきた、同じ命だと感じていた。
抱いたらわかる。
心臓の音が同じだ。繋がっている。
働き始めた頃、四角いコンクリートの大学病院で子どもたちの命を見送ってきた。
命は、元来た場所に帰るだけ。
泣かなくていい。母親の腕から、旅立つ時、悲しみを変換する。
「またいつか会えるね。楽しみにしているよ。」
「君の笑顔を絶対に忘れない。ありがとう。」
五年間、わたしはたくさんの「ありがとう」を言った。
ピンクのお城の産院では、毎日、奇跡の出産に触れた。命の循環は素晴らしい。
羊水をまとった魂は自らを輝き放って神々しい。
「ようこそ、よく来たね。おめでとう。」
「ありがとう。今回の旅を楽しむよ。」
返事が聞こえてきそうだ。
わたしは毎日のように幸福な時間を味わった。
と同時に命に対する責任を果たすことへの重圧に苦しめられていった。
二人の息子は、いつもわたしを愛してくれた。
無邪気で明るくて優しい心。恥ずかしがり屋。
真面目で静かで芯の強いしっかり者。
子どもとは、思い通りにならないものなのに、わたしは二人が自分の思い通りにならないことを受け入れることができなかった。
そんな息子たちにわたしは手を上げ、言葉で脅し、心の中で二人の心を殺していた。
何年も何年もそんな日々が過ぎ、ある時我に返った。
泣き叫ぶ息子、わたしも叫んだ。声にならない声。
わたしは、悲鳴を上げていた。
「誰か助けて。」
「息子たちを助けて。」
「わたしを止めて。」
そしてわたしはすべてをやめた。
仕事から離れ、一に還ろうと決意した。
空も、海も、山も、何年も見ていなかった。
猫も犬も触れたことすら覚えていなかった。
次男が病に侵された時、これまでなんども向き合ってきた命にもう一度向き合った。
当たり前など何ひとつない。
すべては与えられている。
そして、もう十分に足りている。
生きていること。
それ自体が奇跡だ。
山に登って感じた。
太陽の光、風、水は、すべての人に与えられている、普遍のものである。
命はここにあるだけで尊い。
生かされ活かされている。
命は誰かを幸せにしている。
すべての命は、すべての人を幸せにしている。
わたしもわたし自身を幸せにできる。
わたし自身が幸せになれば、周りの多くの人を幸せにできる。
すべては、奇跡の命である。
ようこそ素晴らしい命。
あなたがうまれてきてくれてありがとう、出逢ったすべての人に伝えたい。
わたしはまだ、本当の自分に出逢えていない。
それは、きっと感謝に溢れていて静かに輝いている。
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