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いまはむかし

1 時間前
読了時間: 7分

数か月前、息子から新作アニメをいくつか教えてもらった。


「天幕のジャードゥーガル」

「逃げ上手の若君」

「ワールド イズ ダンシング」


ここ数日になって、「この3つ、つながってるやん!」と気づいた。


モンゴル帝国。

元寇。

鎌倉幕府の滅亡。

南北朝の動乱。

足利義満。

観阿弥。

世阿弥。

そして能。

さらに、その先にある現在の日本。


そんな一本の大きな流れが見えてきた。



13世紀。

チンギス・ハンによって始まったモンゴル帝国は、ユーラシア大陸をまたぐ巨大な帝国へと成長していく。

西はペルシャを含むイスラム世界へ。

東は中国へ。


そしてフビライ・ハンの時代には、日本にもその勢力を伸ばそうとする。

「天幕のジャードゥーガル」は、その巨大なモンゴル帝国の中で、ペルシャの知恵や文化を背景に、一人の女性が生き抜いていく物語だ。


ここで興味深いのは、帝国が広がるということは、人も、物も、知識も、文化も動くということ。

13世紀のユーラシアでは、それまで別々に存在していた地域の人々が、大規模に行き交うようになった。


人が移動する。

知識が移動する。

芸術が移動する。

そして、移動したものが、その土地にあったものと出会う。

この「出会い」が、文化を変えていく。



日本にも、ずっと昔から海外から伝わったものがあった。

奈良時代、大陸から伝わった芸能の一つに「散楽」がある。

器楽、歌謡、舞踊、物真似、曲芸、奇術など、実にさまざまな芸を含んだ芸能だった。

それが日本に入り、平安時代になると「猿楽」と呼ばれるようになる。

そして寺社の保護を受けながら、日本の社会の中で独自の発展を遂げていく。


海外から来たものが、日本という土地に入り、日本にあった文化と出会い、日本人の感性の中で変化していった。

その先に猿楽がある。


一方、日本には日本の土地から生まれた芸能もあった。

それが「田楽」。

農村の民俗から発展した芸能で、田植えなどに関わる芸能を源流の一つとしている。


そして中世になると、田楽と猿楽は別々に発展するだけではなく、互いに影響し合うようになる。


外から来たものと、もともとこの土地にあったものが出会う。

そして、どちらか一方が消えるのではなく、互いの良いところを取り入れて、新しい表現が生まれていく。


元寇の時代には、こうした田楽が盛んに演じられていた。

モンゴル帝国が日本に迫ってきた時代と、日本の芸能が大きく変化していった時代が重なっている。

それは人々の得体のしれない恐れを癒すためだったのかもしれない。


そして14世紀。

この二つの流れが、さらに複雑に交わっていく。

大和猿楽の観阿弥だ。


観阿弥は、その時代に存在していたさまざまな芸能から、優れたものを取り入れていった。

新しいものをゼロから生み出したというより、すでに世界に存在していたものを見つけ、受け取り、組み合わせ、別のものへと変えていった。


1375年。

観阿弥は12歳の息子・世阿弥を伴い、京都の今熊野で猿楽を奉納する。

それを見た足利義満が、親子の芸に心を動かされる。

ここから、観阿弥・世阿弥と義満の関係が始まっていく。


そして父・観阿弥の仕事を受け継いだ世阿弥が、さらに能を洗練させていく。

能は、14世紀半ば頃に大成された芸能で、田楽や猿楽などの先行芸能を取り込み、それぞれの要素を一つの芸術様式へと統合していった。


能を作ったのは誰なのか。


観阿弥。

世阿弥。


本当にそうなのだろうか。


散楽

猿楽

元寇

田楽

寺社

農村

民衆

武士

公家


そのすべてを受け取って、観阿弥が次の形にする。

それを世阿弥が受け取り、さらに次の形に。



一方、日本では大きな政治的混乱が続いていた。


鎌倉幕府が滅亡し、足利尊氏と後醍醐天皇が対立し、やがて日本には二つの朝廷が並立する。

南北朝時代だ。


「逃げ上手の若君」は、まさにこの時代を描いている。


アニメの主人公は、北条時行。

負けたら終わり。

武士なら、敗北を受け入れ、死を選ぶ世。

そんな価値観がある世界で、時行は逃げる。

そして、生き残る。

また逃げる。

また立ち上がる。

何度でも挑戦する。


既存の価値観に従うのではなく、自分が生きるための別の道を選ぶ。

そのイレギュラーな生き方が、奇しくも鎌倉を奪還することになる。

それを許さない尊氏が、天皇の意向に背き、鎌倉を取り戻す動きを生み出す。

その一連の流れの中で、尊氏と天皇の関係が崩れ、南北朝時代を生み出すことになる。


そして、足利義満の時代になる。

1392年。

南北朝は統一される。


その時代に、政治と芸術が非常に近いところにあった。


義満は観阿弥・世阿弥を庇護した。

そして能は、単なる民衆の芸能から、将軍や公家にも支持される高度な芸術へと発展していった。


国をまとめる力には、武力だけではなく、文化や芸術の力もあるのではないか。

人を従わせるのではなく、人の心を動かす力。

それが、芸術なのではないか。


義満はそのために芸術を利用したのだ。


その後も天皇と武家政権との関係は大きく変化していく。


日本では、政治権力を担う存在と、伝統や文化を象徴する天皇との関係が、長い時間をかけて独特の形をつくってきた。

その歴史の一つの大きな転換点として、南北朝時代を見ることはできるのではないか。


そして戦後、日本が占領下に置かれながらも、日本国憲法のもとで象徴天皇制が成立し、能を含む多くの伝統文化が受け継がれていった。



ここで、もう一度「逃げ上手の若君」に戻る。

南北朝を生み出した大きな政治的混乱の中で、北条の残党たちは戦い続けた。


その中に、「負けたら終わり」という価値観だけでは生きなかった人たちがいた。


逃げる。

生き残る。

また戦う。


それは一見すると、歴史の本流から外れた生き方に見える。

でも、その「本流から外れたもの」が、歴史を変えてしまうことがある。

ここには、能の歴史と共通するものがあるように思う。


外から来た散楽

日本にあった田楽

寺社

民衆

武士

公家

さまざまなものが交わる。


そこから観阿弥が新しいものを生み、世阿弥がさらに受け継ぎ、能という形になる。


たぶん、歴史を生きている本人には、自分が未来にどんな影響を与えるのかなんて、ほとんど分からない。

モンゴルの人々は、自分たちの征服活動が何百年後の文化にどう影響するかなんて知らない。

観阿弥は、自分が取り入れた芸能が、何百年後にも能として残るなんて知らない。

世阿弥も、自分の『風姿花伝』が後世まで読み継がれるなんて、分からない。

北条時行も、自分が「逃げ続ける」ことが後世の物語になるなんて知らない。

足利義満も、南北朝を統一したことが、はるか後世の日本人の天皇観や文化観を考える材料になるなんて、想像していなかっただろう。


それでも、その瞬間、その人が自分のいのちに従って生きたことが、後から見ると歴史を大きく変えている。


歴史を変える人は、「自分が歴史を変えている」と思って生きているわけではない。

目の前のことに向き合う。

自分が受け取ったものを、次の形にする。

目の前の人の声を聴く。

自分の中にある志を手放さない。

ときには、既存の価値観から外れてでも、自分の生き方を選ぶ。

そして、それを次の人へ渡していく。


その瞬間には、その先に何が起きるのか分からない。

でも、何十年、何百年という時間を経て振り返ったとき、

「あの人の生き方が、ここにつながっていた」

と初めて分かる。


これは安岡教学のマインドにもつながるように思う。


モンゴル帝国。

散楽。

猿楽。

田楽。

観阿弥。

世阿弥。

能。

北条時行。

足利尊氏。

足利義満。

南北朝。

天皇。

そして、今の日本。


ひとつひとつのはざまには、受け取る人がいて、融合する人がいて、抗う人がいて、次へ渡す人がいる。

そして、その一人ひとりが、その瞬間には知り得なかった未来をつくっていく。


これは誰にも予測できないことだ。

では予測できないから、未来のために何もしなくていいのか。

それも違うだろう。


ひとつ明らかなのは、いまこの瞬間の選択が、予測もできない未来を創っているということだ。



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