心が飛び跳ねる
- yamashina shigeru
- 4 日前
- 読了時間: 4分
花の色も皆々異なれど
おもしろしと観る心は皆同じなり
美しき万花は
皆咲き誇ろうと足掻くのだ
なぜ、あの場面で心が飛び跳ねたのか。
ぼくの心にある何に、反応したのだろう。
『ワールドイズダンシング』8話、ラストの場面。
二人は別々の場所で、同時に同じ答えにたどり着く。
そして、走り出す。
橋の上で出逢う。
そこで、二人が発した言葉。
その言葉を聞いた瞬間、心が飛び跳ねたのだ。
シンプルに、その感動に身を任せればいいのだと思う。
それでも、この感動はどこからやってきたものなのか。
なぜ、あれほど心が動いたのか。
それが気になっている。
どこまで言語化できるかわからないけれど、しばらく書き続けてみたい。
ふたつが、ひとつになる瞬間。
誰も気づいていなかった、思いもよらない答え。
思考ではなく、身体が真っ先に動いたこと。
大切なことを、同時に閃く世界。
そして、芸術が世界に必要とされる意味。
この場面に内在しているものを、一つひとつ挙げていくことなら、いくらでもできる。
しかし、その中で、一体何に心が動かされたのだろうか。
まだ、よくわからない。
「ど真ん中名刺」を支えている考えも、同じところから生まれているように思える。
仕事と社会貢献とワクワク。
この三つは、別々のものではなく、一つとして捉える生き方があるのではないか。
その「ひとつ」があることに気づいていく。
または、そこに挑んでいく。
それが、ど真ん中名刺だ。
ぼくが言葉を書き、イラストは息子が担当してくれた絵本『ことのね』の世界も、同じ。
「言挙げせぬ国」として、言葉よりも身体性を大切にし、そこから生まれるつながりを表現している。
くまさんは、自分が食べるためではなく、どんぐりの色やカタチの美しさに魅了され、宝物を見つけたように集める。
リスは、自分でもよくわからないけれど、「大切な仕事だ」という感覚に従い、ミツバチの巣からこぼれ落ちるハチミツを集める。
二人は、友達というわけでもない。
ただ、偶然、同じ場所、同じ時間に居合わせただけなのだ。
少し距離を置いて、二人は倒木に座る。
すると、心が何かに満たされていくような感覚になる。
それは不快なものではない。
むしろ、内側から力がこみ上げてくるような感覚だ。
身体にも変化が生まれる。
じっと座っていることができない。
いまにも踊り出したいような状態。
身体がふわふわと軽くなり、むずむずしてくる。
そんな二人の間に、優しい風が吹く。
風は、葉っぱをやさしく揺らす。
葉っぱのささやき。
すると、どちらからというわけでもなく、すでに決まっていたことのように、
くまはリスへ、どんぐりを。
リスはくまへ、ハチミツを。
お互いが大切にしていたものを贈り合う。
絵本『ことのね』は、そんな物語だ。
自分がつくった物語ではあるけれど、ぼくはこの世界が好きなのだ。

来年には、弓道四段を受けたいと思っている。
ただ、最低限の弓道についての知識が、まだ不足していると感じている。
体配や的中だけではなく、弓道教本をもっと読み込む必要がある。
教本の最初に、「弓道の真善美」について書かれている箇所がある。
真とは、弓の冴え、弦音、的中。
善とは、礼と調和の心。
それを統合するのが、美である。
真なるものは美であり、善なるものは美である。
まさにぼくは、この「美」へのあこがれがあるのだと思う。
心が飛び跳ねるような感覚を味わったこと。
弓道の「真善美」に触れたこと。
この二つには、何かつながりがあるように思う。
まだ、そのつながりが何なのかは、わからない。
これからも時に触れ、考えていきたいテーマだ。
「大学」のはじまりの言葉が好きだ。
好きだから、朝活大学素読会を続けているのだろう。
大学の道は
明徳を明らかにするに在り
民を親しむに在り
至善に止まるに在り
自分を、いのちを、生ききることが、他者と、世界と、つながることになる。
そんなことを、ぼくはどこかで信じているのかもしれない。




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