心地いい場所とは
- yamashina shigeru
- 55 分前
- 読了時間: 5分
先日、弓道場に、僕の知らない若者が練習に来た。
「こんにちは」
と、軽く挨拶を交わす。

弓道場自体は、誰でも利用できるオープンな場所だ。
僕自身、この道場を利用している人全員を把握しているわけではない。
たとえば、高校時代にこの道場を利用していて、数年ぶりに長期休暇で地元に帰ってきた大学生もいる。
ちょうど弓道教室が終わったところで、新しく弓道を始めた人が、そのまま練習していることもある。
最近では、「40年ぶりに弓を引きに来ました」という人もいた。
そういう人たちは、名前も顔も知らない。
だから、気にはなりつつ自分の練習を続けていた。
ところが、先輩がその若者に話を聞いた。
富山大学の学生で、普段使っている道場が使えないため、こちらの道場に来たらしい。
しかも、この道場を利用するのは初めてだった。
それを聞いた先輩が、
「であるならば、まず挨拶が必要なんじゃないか」
と、少し苛立った。
考えてみれば、もっともなことだ。
若者は玄関で「こんにちは」と挨拶はしたものの、自分の名前や所属、どこから来たのか、誰かの紹介なのか、そういったことは何も伝えていなかった。
そして、道場に入るなり、
「どの的を使っていいですか?」
と尋ねた。
それに先輩は違和感を覚えたのだ。
まあ、確かに。
一方で、別の先輩は、
「まあ、この道場には受付みたいな仕組みがないからね」
と、こちら側にも課題があるという、冷静で寛容な姿勢だった。
それも確かに一理ある。
けれど、最初に苛立った先輩にとっては、こちらの仕組みの問題ではない。
それ以前に、人と人との間にある最低限のマナーの問題なのだ。
そんなやり取りを横で聞きながら、ふと思った。
自分にとって居心地のいい場所であればあるほど、そこは、初めて来た人にとって居心地の悪い場所になるのではないか。
弓道場は、単なる「弓を引くための施設」ではない。
そこには長く通っている人たちがいて、顔なじみがいて、自然とできあがった関係がある。
目上の人はどこを利用するのか。
どのタイミングで声をかけるのか。
どこまでが自由で、どこからが遠慮なのか。
わざわざ文章にして確認することもないけれど、みんながなんとなく知っている。
そういうものが積み重なって、その場所の「居心地」がつくられている。
ところが、その居心地のよさは、同時に「内側」と「外側」をつくってしまう。
長くいる人にとっては当たり前のことが、初めて来た人には分からない。
内側の人にとっては「普通」のことが、外側の人には「何をしたらいいのか分からない」という不安になる。
そう考えると、これは「公」と「共」の違いにもつながるような気がする。
たとえば、弓道場が公民館のような場所だったら、入口に受付がある。
そこで申請書を書き、使用料を支払う。
そうすれば、初めて利用する人でも、その場所を使うことができる。
誰かに挨拶をしなければならないわけでもない。
誰かに「使っていいですか」と尋ねる必要もない。
理屈の上では、とても公平だ。
ただ、その場所に「愛着」が生まれるかというと、また別の話なのかもしれない。
利用する人にとって、居心地は悪くない。
平等性が担保されている。
けれど、そこに「自分たちの場所」という感覚が生まれるとは限らない。
反対に、長く通う人たちがいて、顔と顔がつながっていて、そこに独自の文化が育っている場所には、強い愛着が生まれる。
でも、その愛着が強くなればなるほど、今度は外から来た人にとって、入りにくい場所にもなってしまう。
居心地のよさと、開かれていること。
この二つは、実は両立しにくいのではないか。
そして、ここで内と外の問題が発生すると多くの場合、「ルールをつくろう」という話になる。
初めて来た人にも分かるように、利用方法を明文化する。
挨拶の仕方、使っていい場所、使ってはいけない場所。
そうやってルールを増やしていけば、確かに分かりやすくはなる。
でも、ルールが増えれば増えるほど、人はその場所で自由に振る舞えなくなる。
ルールがいっぱいある場所は、やっぱり少し息苦しい。
では、どうすればいいのだろう。
そのことを考えていて、今のところ僕には、二つのあり方が思い浮かんだ。
ひとつは、お互いに干渉しないことで、誰もが自由でいられる場所。
オシャレな喫茶店などは、もしかするとそういう場所なのかもしれない。
誰が来てもいい。
誰が何をしていても、基本的には干渉しない。
それぞれが、それぞれの時間を過ごすことができる。
もうひとつは、まったく逆で、人と人との関係がオープンな気持ちで、お互いに接し合う場所。
知らない人が来ても、自然に声をかける。
分からないことがあれば教える。
初めて来た人も、「ここにいていい」と感じられる。
もちろん、そこには最低限のルールがある。
ただ、それは「禁止事項」を並べたようなルールではない。
むしろ、
「この場所では、こういうふうに人と接する」
という、もっと根っこのところにある共有感覚なのだと思う。
言葉にするのが難しい。
僕は今、それを「オープンな気持ちで、お互いに接し合う」と表現した。
でも、たぶん、もっと大事な言葉があるような気がしている。
長くその場所にいる人たちが、無意識のうちに共有しているものは何なのか。
何を守ろうとしているのか。
何を大切にしているのか。
そして、それを新しく来た人にも開いていくには、どうすればいいのか。
その場所が何によって成り立っているのか。
ルールとして明文化できるものもある。
けれど、本当にその場所をその場所らしくしているものは、案外、言葉にできないことなんじゃないか。
論語の
「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ」
という言葉にも、どこかつながっているように思う。
この論語の解釈は省くが
「道」に志し
「徳」を拠り所とし
「仁」を心のど真ん中に置き
「芸」に遊ぶ。
自分たちにとって居心地のいい場所を守ることと、初めて来た人にも居心地のいい場所にすること。
その二つをどう両立させるのか。
とても大事なテーマが隠れているように思うのだが、うまく表現しきれないもどかしさを感じる。
もどかしさのひとつは、これを伝え教えてくれる場所が少ないことにも関係する。



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