ど真ん中名刺のワークショップだけでは、名刺は作れない。
目の前にある希望
受取ったバトン
素直な心
他の意見に振り回されない意志
いろんなものが見えてくる。
特に、ワークショップが終わったあとに、どんな名刺にするか。
ここを決めるのは、決してデザインセンスではない。
前田さんは、明確に、ブレなく、曇りなく、これですという情報を準備してくれた。
以下、前田さんの文章
私は子供のころからいつも直感で動き、大好きなことにはどっぷりとハマる子でした。
社会人になってからも、その時が楽しければいいからと、生きていく上での責任はほとんど考えていませんでした。
32歳になった今、本質は変わらないのだけど、自分の人生に信念と責任を持って、心に正直に生きていると確信しています。
毎日心の声に耳を傾けて、「身体と心に調子はどう?」「心地よい?」と聞いています。
今まで、沢山自分と向き合ってきたから、大事にしたい価値観を知り、それに沿って生きることを決めた今の自分が、一番好きと心から言えるでしょう。
きっと世界はまだまだ広くて、未知の世界をみるたびに新しい価値観を知り、ワクワクが止まらないと思います。その度に、それを吸収していく自分がより好きになっていくと信じています。
さて、こんな風に自分軸を持てるきっかけになった出来事があります。
私は高校生の時、進学校に進んだのに、親の反対を押し切り美容の道に進むことを決めました。中学生の時から密かに、人を美しく変身させて笑顔にしてしまう力がある美容師の仕事に憧れていたからです。
専門学校を卒業後、県内に多数店舗を構える美容室に就職し、美容師として働き3年が経った頃、理想と現実の世界に悩んでいました。
人を美しくして笑顔にできる仕事のはずなのに、会社の利益を上げることばかりを言われ、売りたくない商品を提案したり、先輩の機嫌をみて仕事を教えてもらわないといけない環境が耐えられず、自分が笑っていない状態で、モヤモヤしている時期が続いていました。
そんな時、ある自己啓発セミナーに会社のみんなと参加することになりました。
そこで、今まで直感で行動し、その瞬間を楽しく生きていた私は、初めて「自分の人生をどんなふうにしたいんだろう」と将来を見据えて今を生きる考えを知りました。
「なりたい自分ってなんだろう…?」
いくら自分に問いかけても、漠然とよく分かりません。
その時、そのセミナーの講師が「人生の先生を見つけた方がいい」と言われていたので、このままこのお店にいても自分の向上はないかもしれないからと、素直に先生探しを始めることにしました。
そうしていると、本当に先生は見つかるもので、半年後にはついて行きたいなと思う人に出会うことが出来ました。
でも、そこから人生を変える出来事が沢山起きることになります。
沢山の出来事の中でも、一番私の人生を変えたのは25歳でリウマチという病気になったことでした。
病気になった原因はハッキリとはしていないけれど、仕事のストレスで甘いものを過度に食べたり、睡眠不足が続き生活が不規則だったからだと思います。
当時、25歳の私は勤めていた美容室を辞めて、自分が思う理想の美容室を作りたいと夢を持つようになっていました。
そのためには、資金が必要だからと美容師を一旦やめて、給料がいい宅配の仕事ともう一つ仕事をプラスしてダブルワークを始めていました。
でも、それが目の前の楽しさを見て生きていた私にとっては、忙し過ぎて自分の時間が取れず、生きている心地がしなくなっていったのです。
以前、美容室で働いていた時よりも周りに振り回され、自分の意志を無視し続けている日々が負担となってしまい、病気を引き起こしてしまったようです。
病気になったころは、自分で選んだはずの美容師以外の仕事も苦痛で仕方なかったので、「もう病気になってしまえば仕事から逃げられるし、周りに言い訳が出来るから優しくしてもらえるかもしれない」と、とても卑屈な考えでいました。
すべての責任から逃げたくて、仕事を休み続け、勝手に辞めてしまったのです。
今思えば、人として無責任な事をしたなと理解できますが、当時はそれがわからないくらい精神的に追い込まれていたのかもしれません。
そんな私を見て、家族や友人は可哀想にといろいろ与えてくれて、助けてくれました。
両親は、「仕事が出来ないなら今は休んでいてもいいよ」と言ってくれて、生活を支えてくれていました。
本当に甘えていたなと思います。
ただ私の人生の先生は、病気のことの捉え方が少し違っていました。
あえて与えるだけではなく、これから病気になったという自分で生きていく力を身につけた方がいいと、生きる術と考え方を教えてくれたのです。
私は元々、人と比べる癖があって劣等感を持ちやすい性格でした。
それに、固定概念が強く、世間の当たり前が出来ていないと、自分を責めたり現実逃避したくなったりもしました。
だから、リウマチになって、「仕事もままならない自分が恥ずかしい」「社会的にすごく劣っている」と、ずっと自信を持てずにいました。
当時、病気のせいにして出来ない自分を隠すために、いろいろないい訳をしていたのを覚えています。
そんな時に、先生は
「美容の仕事が好きなら続けられる方法を探せばいい。」
「リウマチになって美容師をしている人もなかなかいないから、それが逆に武器になる。」
と言ってくれました。
頭になかった発想だったので、言われた時は、その言葉を受け入れるだけでも時間がかかりました。
半年くらいが経ち、いつまでも甘えるわけにもいかないと、美容の仕事を続けられる方法という意味で、フリーランス美容師として活動をスタートすることにしました。
肩書きはカッコいいけれど、言ってみれば気分で仕事をしている状態です。
始めから順調にいくわけもなく、周りの方の沢山の応援に支えられました。
リウマチは、関節に炎症が起きてしまう自己免疫疾患です。
天気や温度変化によって体調も崩れるし、それがメンタルにも直結してしまいます。
多くの人は、まず医師の診断を受け治療法を決めていくでしょう。
でも、私の担当医師は忙しいせいか深く話をすることがあまりなく、どうも苦手でした。いつも、一方的に考えを押し付けられているように感じたからです。
なので、数ヶ月で通院して治療することをやめました。
仕事も、身体の治療のことも中途半端になっていた私に、先生は
「人生は自分らしく生きていればいいんだよ」
と言ってくれました。
自分らしくとは、周りを気にして選択していくのではなく、私ならコレは好き、コレは好きじゃないと心の中の個性を大切にして、自分の価値観で選択していくことだと思います。
私は、その言葉を聞いてから、すべてを誰かに委ねてしまっては、体調とメンタルのコントロールがうまくできないことに気が付きました。
何か辛いことがあれば「医師のせいだ」と、人のせいにしてしまう。
そんな自分が嫌だったし、「本当はどうしたいのか、どんな不安を抱えているのか、なぜそうなってしまったのか」など、心の声に耳を傾け、それを解決しないと自分らしい人生にならないと思ったからです。
心の声に向き合っていくにつれ、病気を招いたのは自分の責任。
そうなる習慣があったからそうなっただけ。
私は、病気から何かを学ぶ必要があるんだなと数年かけて気づいていきました。
大切なことは、主体性をもつこと。
自分と向き合う強い覚悟をすること。
人生に責任をもって、その上で良い習慣を身につけて、自分に合う方法を見つけていくことだと思っています。
今は、周りを見て比べるのではなく、昨日の自分と今の自分を比べるようにしています。また、自分と深く向き合い、成長するための肉体的なケア、心のケアをルーティンとして決めています。
肉体的なケアとして、食事や運動、睡眠、ストレッチ、マッサージなどを意識していますし、心のケアとしては、お花を飾ったり、アロマ焚いたり、本を読んだりと、自分がいつまでも心地よくいられる工夫をしています。
そうやって出来るベストを思考錯誤しているから、病気のことはほぼ忘れてしまっていることが多いかもしれないですね。
この経験は、私にいろんな学びを残してくれました。
●家族や、友人、先生に対して、当たり前はなくて、愛してくれていることに感謝すること。
●自分を愛して、身体と心の声を聞く大切さ。
●主体性をもって人生を自分で作っていくこと。
など、あげだしたらきりがないでしょう。
一見、病気になるなんてとコンプレックスだと思う人も多いかもしれません。
でも、それがきっかけで本当に大切にしたい想いや、自分の内なる声に気づけるはずです。
そしたら、自ずとやりたいことが出てきたり、好きなこと、もの、ひとが明確に理解出来るようになってきます。
あとはそれを素直に受け取って、日々変化をしていくだけです。
私は、今フリーランス美容師としてTotal Beauty Salon Flowerでサロンワークをし、富山県内でブライダルヘアメイクの出張をしたり、セルフケアとしてヘアメイク教室を開催しています。
人を美しくして喜んでもらったり、自分で美しさを作っていく力をもってもらうお手伝いをするのが楽しいです。
また、どんな分野でも自分と向き合い、変化していく人の応援も出来たら嬉しいなと考えています。
一人でも多くの人が、自分だけの心地よいマイワールドの中で生きて、心の笑顔が自然と顔からにじみ出ている、そんな人がたくさんになってほしいと願います。
あなたはあなたのままで素晴らしい。
あなたは心地よいマイワールドに居ますか?
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