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執筆者の写真yamashina shigeru

だからこそ。

ネガティブ先生

 

ど真ん中の仲間の磯さんの思いつきで始まったらしいネガティブ先生。

ネガティブ体験を自己開示することで、それを聞いてくれた人に何か生きるヒントを提供したいと。 ネーミングで、すでにいい味出しています。





8月にぼくもネガティブ先生としてお話することになっています。


そもそも「ネガティブ」って何だろう? イベントのチラシの打ち合わせをしながら真剣に考えていた。


「大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを」藤村操

ネガティブとは、 事象を正負二極で見立てた際の負の側。対義語はポジティブ。

ウィキペティアにはそう書かれてある。



つまり、 ①事象を正負に分ける。 ②負の部分だけをみる。 ③それがネガティブ。

ということである。

これは①が重要なのではないか。

正負に分けない限り、正にも負にも気づけないはずた。

ただそこに、事実が残るだけのはず。

つまり、正負に分けることができるということは、思いもよらない「正」の存在に気づいているからこそ、思いもよらない「負」の存在を知る。

その正負の違いが大きければ大きいほど、よりネガティブだということなのかもしれない。 やじろべえの手の長さがめっちゃ長い感じ、だろうか。


だからこそ、大いなる悲観は大いなる楽観と一致する。

つまり、大いなる悲観ができることは、人の何倍も創造力が強く、人知らずに大きな希望が心にある人なのではないか。


そう考えるならば、ネガティブであるということは、ネガティブになれるだけのパワーをもっているすばらしいエネルギーの持ち主だということになる。


そのエネルギーをどう活かしきるか。 ここが大きなテーマのように感じる。



ど真ん中エディットワークでは、自分の物語を紡いでいく。 紡ぐには、この言葉を使えばわかりやすい。


 「だからこそ」

 「あったからこそ」


逆境体験が「あったからこそ」、ご縁をいただき、なすべきことに出逢えた。

なすべきことに向き合った「からこそ」、世の中にニーズに気づけた、自分の喜びは何かを知ることができた。

「だからこそ」、この実践の誓いをした。


ネガティブであることは、この「だからこそ」を人生の中で発見する名人であり、壮大なドラマの主人公となるエネルギーの持ち主なのかもしれない。

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