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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

てくてくの宮

最初は、美土ちゃんの詩集を作るというお仕事からはじまった。美土ちゃんの詩には、生があり死がある。

また改めて紹介したいと思う。

ど真ん中名刺デザインブックの執筆を依頼したのは、美土ちゃんのお母さん。

以下、紹介。




つまらない自分でよかったと最近は言えます。

 

私は富山県に生まれ、誰でも集える富山型デイサービスに惹かれて、福祉を学びました。

 

今は、デイサービスの枠にはまらない、社会の枠にもはまれない、面白いものが集まる場所を創ろうと思っています。

自分らしく生きていくことを、互いに応援しあえる場所。

まだ現実化していない段階で声をかけてくれた山科さんも相当面白い人です。

感謝します。

 

場所の名前は「てくてくの宮」。

お宮さんは誰でも受け入れて、自分と向き合えるところだというイメージから。

今は、娘3人とのんびりと暮らしています。


そういう私は社会から求められているであろう、あるべき姿になろうとしてもがいていました。

何をしてても「無駄だ」と心の声が聞こえてきて、ただ楽しむということへの罪悪感があり、学力を上げるための勉強ばかりしてきました。


そんな型にはまった私が、身近にいる子どもたちから、たくさん学び、自分らしさを思い出していきました。


幼い頃は、四六時中虫と話してた、これといって特技のない子でした。

学校の学力テストや心理テストでよく見る星型のグラフ、レーダーチャートでは偏りが多く、いつしかきれいな星型を目指していました。


今は、円からはみ出るくらいの歪な星型でいいから、自分らしく光っている星を目指しています。


自分の中でどんなに偏っていても、周りにいる偏った人たちが補って綺麗な星になるくらい、宇宙はうまくできていると、ただアホみたいに信じていこうと決めたからです。


私は変わらず趣味もなくつまらない人間かもしれませんが、その代わり周りの人たちの特長がすごく輝いて見えます。


てくてくの宮は、いろんな人が集うことをイメージしていますが、人が集まらなくても、それもすべてマル。

なるようになるから。


しゃべらない、歩かない長女とテレパシーで話すのですが、死んだら思い通りにしかいかない、生きているからうまくいかないことがあるのだと聞いたことがあります。


だから、失敗も生きているからこそで、いつでも必要なことが起きているのだと思うと、どんな現実も素晴らしく見えてきました。


誰でも集える場所、てくてくの宮は、正真正銘自分のためです。

年齢も性別も、障害も、目の色も生き様もさまざまな人が集まると楽しそうです。

役割を補い合える、学び合える、与え合える、そして何より自分らしさに出会える場になると妄想しています。


ちなみに、過去も未来もなく、今この瞬間を感じて生きていくので、実はてくてくの宮を創ると確証はできません。


無責任ですが、自分の真にしっかり責任を持って生きていきます。

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