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執筆者の写真yamashina shigeru

ど真ん中の次


今週、専門学校で講師を務める。

そのための資料を作っているのだが、これまでふわっと考えていたことが、輪郭をもって表現できるようになってきた。

 

クラスター係数とダンバー数の法則と閉じたインターネットの話だ。

 

クラスター係数とは、日立製作所の矢野氏が書籍の中で紹介されていた「幸福度」についての研究だ。



簡単にぼくなりに説明すると、幸福度を測定するひとつの評価だ。

赤色の円が自分で、それを取り囲む黒色の円が友人だとする。

線はお互いの友人関係を示している。


この時、右の図のように、自分の友達同士が友人である場合もあるし、そうでない場合もある。

この、自分の友達同士が友人となり三角形のカタチを作ることを「クラスター」と呼ぶらしい。

このクラスターがどれくらい存在するかを表した数値が「クラスター係数」だ。

 

つまり、「クラスター係数」が高いということは、自分の友達同士が友達である確率が高いということを示す。

このクススター係数が高いほど、中心にいる自分は幸福度が高くなるという実験結果だ。

 

これは、実体験に照らし合わせて考えると、よく理解できるのではないか。

人は無意識に幸福感を高めるために、自分の友達同士をつなごうとする行動をとろうとする。


この自然のDNAに組み込まれた行動を利用して、コロナウイルスは増殖をするという戦略をとったのだ。

 

では、なぜ、クラスター係数が高いと幸福度が高くなるのか。

これは人類の歴史を振り返るとわかりやすい。


つまり、クラスター係数が高い集団で子育てをする方が、安全だからだ。

外敵から安心して安全に子育てができる居場所はどんな場所か?

顔が見えて信頼できる仲間がいる場所だ。

その仲間同士も友人である確率が高い居場所であればあるほど、安全性は高くなるに違いない。

いろいろ相談できるだろうし、分け与えて生きることができる。

 

つまり、長い人類の進歩の過程で身につけた幸福度なのだ。

 

 

では、幸せになるためにクラスター係数を高めればいいということになるのだが…。

ここで2つ考えるべき問いが生まれる。

 

①友達同士を紹介すればクラスターは発生する(自分の友達同士が友達になる)のか?


②分母の数はどれくらいが適正か?

分母とは友達の数だ。当然友達が数人ならクラスター係数は高くなるだろうが、それだと不安定な気がする。

 


まず①に関して。

 

友達同士を紹介して喜んでくれるためには、もちろん、その友達のことをちゃんと理解しているかどうかも大事だ。

しかし、それ以上に大事なことがある。

それは、自分自身のあり方だ。


自分自身がネットとリアルだと発言が違う、会う人や場所によって態度が違う。

そういった状態で友人はできるかもしれないが、その違う場面で出会った友人同士が、果たして気の合う友人になるだろうか。

ぼくは、なかなか難しいのではないかと思う。

 

つまり、クラスターを作るためには、そもそも自分自身があり方、生き方が問われるのではないか。

それこそ、ど真ん中を生きるという価値観がここでは非常に大切になる

 

仕事と社会貢献とワクワクを分割して生きるのではなく、仕事×社会貢献×ワクワクな生き方を仕事として生きる。そんなど真ん中な生き方をしていると、どの場面でも同様な態度、生き方ができるはずだ。

それに共感した友達同士なら、きっと友達になりやすいと思う。



次が、分母の数、友達の数だ。

友達が多くなればなるほど、クラスター係数は低くなる。

かといって友達が少なすぎると、クラスター係数は高くはなるが、とても脆弱な集団に思えてしまう。

 

では、どれくらいが適正な規模なのか。

ぼくは大体150人ぐらいなのではないかと思っている。

 

これは「サピエンス全史」にも書かれてあったことで、「ダンバー数の法則」とも呼ばれている。

人の脳の認知能力は、150人ぐらいが限界なんだそうだ。

誰がどんな人で自分とどんな関係なのかを理解した上で関われる人数の限界が、150人なのだ。

それ以上の人数の集団を作ろうとすると、何かの法則やビジョンのようなものが必要となる。

目の前に実際に存在しないものを信じる力。

お金や会社やビジョンや宗教などもそうだろう。

これをホモサピエンスが身につけたことで、この地球の覇者となった。

認知革命だ。

この認知革命が起きたことで、ホモサピエンスは、脳の能力を超えた人数の集団を作ることができ、他の生き物を圧倒していった。


ただ、裏を返せば、150人を超えずに、本来の脳の認知能力の中で、目に見える信頼関係の集団を作るほうが、より心豊かな強い集団が作れるのではないか。

個の生き方を尊重しようとすればするほど、150人が適正のように感じる。


特に今の時代、数が多いことが優位になるということは、あまり重要ではなくなってきている。

そう考えると、クラスター係数を高めるための適正は分母の数は150人ぐらいなのだと思う。

 


ここからは、あくまでもぼくの想像であり、根拠のある話ではないが、これから先。


150人規模の小さな自主独立したコミュニティが、ネットの世界やリアルの世界に多く出現し、150人規模のコミュニティ同士が、さらに重なり合う社会構造が生まれてくるのではないか。

ピラミッド型のような上下があるわけでもない。中心もあるようでない。


ぼくの周りを見渡すと、すでにそんな社会構造が生まれていっている。

これは、すごく多様性が受け入れられた世界であり、だれもがチャンスがあり主人公として生きるコミュニティのように思う。


どうだろうか。

 

もし、こういった世界が生まれたとき、人はどのように生きることが求められるのだろうか。

 

①誰かの依存関係に満足してその場に留まる

②渡り鳥のようにいろんなコミュニティを渡り歩く

③自らが中心となりコミュニティを生み出す


大まかにはこの3つのパターンがあると思う。

 

しかし、さらにこんな生き方はどうだろうか。



自らがオリジナル文化を形成する中心として、150人以内ぐらいの信頼できるグループを作りながら、自分自身も誰かのコミュニティの一部として生きる。

 

図の中心の「赤」は、中心でありながら、青や緑や黄や橙の仲間の一人であることがわかると思う。

 

仕事×社会貢献×ワクワクな贅沢な道を選び 顔の見える信頼できる150人規模の仲間を大切にし かつ 自分自身も誰かの150人の一人であることに喜びを感じ 多様な価値観に触れながら、ど真ん中の道を開拓する

 

こんな生き方が自然と行える世界があってもいいように思う。


これは一見すると、いままでも同じようなコミュニティが自然に発生していたんではと思うかもしれない。

しかし、大きな違いは、

①中心にど真ん中を生きる仲間の存在

②ひとつひとつのつながりがより深い関係であること

③だからこそ、クラスターが発生しやすいコミュニティになっていること

だ。


この一つ一つのグループ内で流通する多様な貨幣も生まれる可能性だってある。

これが今ぼくがイメージするぼくのど真ん中の次のステージだ。

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