次の意識変換はこれだ。
一点突破からもれなくすべてへ
人は何かをカタチにしようとしたとき、まず1点突破をしようと考える。
このときの1点突破と実践の意味を混同してはならない。
人が成功体験で話す場合の1点突破とは、「must」のことだ。
今なすべきことにまず本気で向き合う。
それを1点突破というのだろう。
しかし実践は違う。
1番目の意識変革で伝えたとおり二つの円が重なり合う3つの実践は、ど真ん中とほぼ同等に大切だ。
この3つの実践に関して、1点突破という発想はないと思っている。
気づいたのであれば、もれなくすべてやれ!
これが重要だと思っている。
その理由は2つ。
①実践である以上、目的は不要だ。
つまり、脚下にある実践は、どれから順番に始めるということではなく、計画すら無意味であり、すべてやるという姿勢こそ実践だ。
②3つの実践のうち、どれか1点のみに集中してカタチにしようとしたところで、もっとも大切なゴールであるど真ん中は、カタチになっていかない。
なぜか?
左の図
自分のなすべきこと(must)、そこから気づいたneeds。
「だったら、職能を活かしてニーズに挑もう!」
というmust×needsの重なり部分を集中的に実践する。
しかし、集中すればするほど、ど真ん中の面積は最大化しない。
その理由は、手段と目的が逆になってしまうからかもしれない。
または、視野が狭くなり全体像が見えなくなるからかもしれない。
どちらにせよ、結果的に、ど真ん中はカタチになっていかないのだ。
中央の図
実践すべき2つのエリアをカタチにすべく動く。
しかし、これでも結局、ど真ん中の面積は最大化しない。
将来への投資ができてないから先細るのかもしれない。
自分のなすべきエリアの外にある世界に、大切なヒントがあることに気づけないからかもしれない。
ではどうすべきか。
ど真ん中を最大化にするためには、2つの円が重なる3つのエリア、すべてをもれなく動かす必要があるということだ。
一番右の図がそれを表している。
3つの実践をもれなくすべて動かすことで、ど真ん中の面積は最大化する。
実践は1点突破ではよくない。
気づいたのなら、すべてやる。
その覚悟が必要だということだ。
そうでなければ、結局本当に手に入れたいど真ん中は遠のく。
この話を今話題の2030SDGsの話に置き換えて説明してみよう。
日本には、売り手よし、買い手よし、世間よし、三方よしという誇れる仕事のあり方があった。
それは確かにすばらしい思想だ。
欧米では、それに反し、株主中心の経営が行われてきた。
図では、売り手と世間を繋ぐのが「株主」。
売り手と買い手を繋ぐのが「社員」。
世間と買い手の間に広がるのが「環境・インフラ」という視点で描いている。
そうなると、図のとおり、社員は疲弊し、環境を悪化させる。
社員も環境も面積が小さくなっているはずだ。
この欧米方式だと、地球環境は守れないし、持続可能ではない。
そこで国連が中心となり、持続可能は開発目標が設定された。
そのときに問われているのが、一番右の図、六方よしである。
売り手よし、買い手よし、世間よし、株主よし、社員よし、環境よしだ。
日本は最初から三方よしの視点があり、六方よしを目指すには有利なように思える。
しかし、重ね合わせて考えるという視点が見落とされていた。
株主という投資文化も幼稚であり、社員の権利も曖昧だったりする。
欧米では、バランスは悪かったにせよ、重なり合う視点があった。
その視点をうまく利用して、みんなお金儲けをしてきたわけだ。
株主メインの経営だ。
これは、「公共」と「私」の二元論の視点でみる日本人と
「公」と「共」と「私」の三元論の視点がある欧米との違いともいえる。
日本は、三方よしから六方よしへ進めるかどうか。
欧米は重ね合わす思考がある分、軌道修正が速いのかもしれない。
日本は、まず重ね合わすという思考を取り戻すこと、そこから一気に六方よしに変革していくことになる。
話を戻すが、ど真ん中を生きるための2つ目の意識変革は
実践の重要性に気づいたのであれば、1点突破ではなく、もれなくすべてやるという姿勢を貫くこと。
そこだ。
であるならば、ここから1週間以内に、まだ着手していない実践はないか。
あるのなら、動き出そう。それを宣言してみよう!
それが宿題だ。
この宿題は、ど真ん中名刺を作るうえで、どうしても必要ではない。
しかし、ど真ん中を生きる覚悟があるのであれば、重要な宿題だ。
Comments